市谷亀岡八幡宮 東京のパワースポット-近くの市ヶ谷濠には釣り堀がある-イパネマおやじ
- 市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)は、東京都新宿区市谷に鎮座する神社です。各線「市ヶ谷駅」より徒歩で数分の便利な場所にあります。幹線道路の前に参道があり、スグに急勾配の階段があり社殿へと続いています。
- 市ヶ谷の街名は、室町時代の武将太田道灌が、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を当地に勧請した際に、「鶴」に対応して亀岡八幡宮と称したことに由来しています。市ヶ谷は、江戸時代には尾張徳川家の上屋敷がありました。明治維新後は、敗戦前の陸軍士官学校、陸軍参謀本部があり、戦後は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を経て現在は防衛省本省が置かれています。
- 最初に地名で戸惑うのは、住所表示が「市谷」となり、駅名や一般的な地域名は「市ヶ谷」となっています。古き良き街並みを残しつつ新しい街づくりが進んでいる街です。住宅地でもありながらオフィスの立ち並ぶ街並みは治安もよく交通の利便性が高い場所でもあります。
最寄りの自衛隊市ヶ谷駐屯地:市ヶ谷の風景
参道を進むと石段:
参道から社殿を望む:
茶ノ木稲荷神社社殿:
出世稲荷社:
社殿前の力石:
市谷総鎮守の八幡様
市谷亀岡八幡宮の御祭神
誉田別命(ほむたわけのみこと)
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
与登比売神(よとひめのかみ)
市谷亀岡八幡宮のご利益
眼病平癒:
金運上昇:
商売繁盛:
境内社 または遺跡(建造物など)
- 茶ノ木稲荷神社:眼病平癒の霊験があったと云われる。当宮が遷座する前より鎮座していた地主神。
- 出世稲荷社:このお稲荷様に崇敬の篤い侍がいて、霊夢により毎日参拝したところ、出世して大名になったと云う。
- 金刀比羅宮:海上守護のご神徳があるといわれる、こんぴらさんが勧請。
備考:ペットと一緒に参拝できる。(要予約)
例祭日:8月13日~15日
市谷亀岡八幡宮の由緒
市谷八幡宮は、室町時代の武将太田道灌が文明11年(1479)に、江戸城西方に鶴岡八幡宮の分霊を勧請して守り神としたのが始まりと云われています。鎌倉の八幡宮が「鶴」なので社名を、亀岡八幡宮と称したとされます。江戸城外濠が完成の後、茶ノ木稲荷のあった当地へ遷座したと云います。
江戸城の築城といえば、徳川家康を思い浮かべますが、実は江戸城の築城は室町時代に先駆者の太田道灌が行ったのですね。その後、1590年に徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府開幕とともに大規模な工事が行われ、最大面積を誇る城郭になっています。
当社の掲示による由緒:
- 源頼義の長男義家は、八幡神の夢のおつげで母が懐妊したというので、七歳のとき石清水八幡宮で元服式をあげ、名を八幡太郎としました。安部一族による陸奥の反乱”前九年の役”が起こったとき、雪の奥州で大活躍するのが、この頼義、義家親子軍団です。北国の反乱は、いったん鎮圧したのですが、こんどは清原家衡らが争いを起こしました。後三年の役(1083)です。再び鎮圧に向かった八幡太郎義家は、勇猛で統率力に富み、たいへん人気のある武将に成長していました。敬神の念があつく、つねに八幡神をいただきながら出陣したので有名です。
- 前九年の役を平定後、頼義は鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請して社殿を建立。その後、治承四年源頼朝が鎌倉に入ると同時に、現在地に移して鶴岡八幡宮としました。このため八幡信仰は、武士一般から民衆の間にもひろがり、全国各地に八幡社が設けられるようになっていきます。
- つぎに八幡宮史の歴史に名を連ねるのは、室町時代の知将、太田道灌が亀岡八幡宮を勧請したとされます。江戸開発のパイオニアです。永享四年(1432)、扇谷上杉家の重臣の子として生まれ、幼名を鶴千代、元服して持資、晩年入道してからの号が道灌です。道灌は文明十一年(1479)に、市谷御門内に鶴岡八幡宮の分霊を、江戸城西方の守護神として勧請し、これを鶴に対して、亀岡八幡宮と称しました。のちになって、外濠が完成すると、さらに外郭の地、市谷の稲荷社地内に遷座。この稲荷神社が、現在の茶の木稲荷で、市谷には古くからあったものです。
- その後、江戸時代になり三代将軍家光から莫大な援助がありました。元禄十五年、将軍綱吉の母桂昌院が亀岡八幡宮の来歴を聞き、神輿のたらないのを悲しまれて、黄金を寄進。これによって、三基の神輿が完成するとともに、社のにぎわいも、ますます盛大になって行きました。桂昌院は、たいへん信仰深い方だったのです。 同じ元禄年間に綱吉の側用人で、その権威並ぶ者なしといわれた柳沢吉保が、当社に参詣し、詩歌を献上しています。また、お参りのおり、境内に立ちならぶ露店の品々を、残らず買い上げ、露天商を感激さたという逸話もあります。
- 昭和二十年五月二十五日、空襲によって全焼。このとき、高さ実に五丈(約十五メートル)、周囲一丈五尺(約五メートル)という神木(もと天然記念物)クスノキも焼け落ちてしまいました。昭和三十七年に、現社殿に再建。
新宿観光振興協会による由緒:
- 文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのがはじめで、「市谷八幡」ともいいます。応神天皇・神功皇后・与登比売命を祭神として、もとは市谷御門内にありましたが、寛永年間に現在の地に移転。江戸時代には「時の鐘」があり、門前町も賑わいをみせ、江戸の名称のひとつとされていました。
- また、境内には「茶の木稲荷」もまつられています。神社には区内唯一の銅の鳥居(区指定文化財)をはじめ、道灌が所持し、奉納したといわれる軍配団扇(区登録文化財)や、力石(区指定文化財)、茶筅塚碑、刀工碑などがあります。
市谷亀岡八幡宮の基本情報
- 名称:市谷亀岡八幡宮
- 所在地:東京都新宿区市谷八幡町15
- アクセス:【電車】JR中央・総武線、東京メトロ南北線、有楽町線、都営新宿線 「市ヶ谷駅」より徒歩3分。
- 駐車場:有り(少数台)
- 主催ホームページ:コチラ より