太子堂八幡神社 東京のパワースポット-太子堂の鎮守-イパネマおやじ
- 太子堂八幡神社(たいしどうはちまんじんじゃ)は、東京都世田谷区太子堂に鎮座する神社です。戦前からの建築物の多くが戦火を免れて現在に至っています。境内には”幸せうさぎ”と呼ばれる、うさぎが飼育されていて「うさぎの神社」としても知られています。
- 小田急線「豪徳寺駅」から東急世田谷線に乗り換え「西太子堂駅」より徒歩5分、または東急田園都市線「三軒茶屋駅」より徒歩10分の静かな住宅街の中に鎮座しています。境内に隣接して保育園もあり、園児の元気な声が聞こえるなど、とても落ち着いた環境の中にあります。
小田急線「豪徳寺駅」から東急世田谷線に乗り換える:
手水舎:
神楽殿:
境内社:出羽三山神社・鹽竈神社の合祀殿
境内社:稲荷神社
幸せうさぎ:境内の片隅に飼育スペースがある
拝殿:拝殿前には絵馬やおみくじが置かれた簡易な社務所がある
太子堂の鎮守
太子堂八幡神社の御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと):
太子堂八幡神社のご利益
縁結び:
金運アップ:
商売繁盛:
境内社 または遺跡(建造物など)
稲荷神社、出羽三山神社、鹽竈神社、弁天社
パワースポット
- 幸せうさぎ:捨てられていたうさぎを境内で飼育していて、近所の子供たちから「うさき神社」と呼ばれている。
- 御神木:樹齢約500年といわれる大楠。周囲が4m以上もあり樹木のパワーを感じることが出来ると評判。
例祭日:10月第二日曜日
太子堂八幡神社の由緒
- 創建の年代は不詳だが、平安時代の後期と推察されています。旧当社別当円泉寺開基の縁起によると、文禄年間(1592~1596)に創建とある。創建当時は、当地を開墾した先祖を守護神として祀っていたと云われている。
- 太子堂の歴史は、鎌倉道の存在と関わりがあり、下北沢と代田を経由して鎌倉へ通ずるのか鎌倉道である。平安時代の後期に、源頼義と義家の親子が、鎌倉から陸奥の安部氏討伐に向かう途中で、立ち寄り戦勝祈願をして休憩したと云います。このことから、文禄年間以前に里人が石清水八幡宮の分霊を勧請し、村の守護神として創祀したと考えられます。
当社の掲示による由緒:
- 今から千年ほどの昔平安時代の終わり頃、陸奥(宮城・岩手)の豪族安倍氏の反乱(前九年の役)を源頼義・義家親子が征伐におもむく途中、鎌倉道に面したこの神社に戦勝を祈願し、杯を交わし休憩をしたと伝えられています。正確な文献の資料はありませんが、このことから永承六年(1051年)以前には、この地の守り神としてこの神社の歴史が始まっていたと考えられます。
- 御祭神は、当初はこの地を開拓した先祖をこの地の守護神としていたと考えられますが、後に源氏の氏神となった八幡神が、源氏の関東での領地拡大に伴い、しだいにその地の守り神として祀られるようになったことにより、この社にも八幡神がまつられるようになったと思われます。源頼朝による幕府政治が鎌倉に始まり、さらに室町時代には世田谷を始め近隣の土地を領地とした吉良氏や、江戸幕府を開いた徳川氏の源氏一門の八幡神への信仰の影響もあって、世田谷には八幡神社が多くあります。(50社中12社)
- 当神社も円泉寺の記録によれば、文禄年間(1592~1596年)に八幡神社として建立されたとあります。豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼし、全国統一をした後の頃になりますが、北条氏の家臣の一団がこの土地に移り、草分けとして開拓を進めた頃のことです。おそらくその頃に社殿が神社らしく整えられたことにより、その時代の創立とされたのでしょう。
太子堂八幡神社の基本情報
- 名称:太子堂八幡神社
- 所在地:東京都世田谷区太子堂5ー23ー5
- アクセス:【電車】東急世田谷線「西太子堂駅」より徒歩5分。東急田園都市線「三軒茶屋駅」より徒歩10分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より