吉原神社 東京のパワースポット-浅草七福神の弁財天-イパネマおやじ
吉原神社(よしわらじんじゃ)は、東京都台東区千束に鎮座する神社です。東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅から徒歩10分程の場所にあります。当社の鎮座する千束は、台東区の北東部に位置しています。東部は東浅草、日本堤に、南東部は浅草にそして南部は西浅草、北部は竜泉に隣接しています。
明治22年(1889)に、東京市の成立と共に千束村は浅草区、下谷区、北豊島郡南千住町に編入されました。そして、台東区の成立後は浅草千束町になり、かっての吉原遊郭は1965年の住居表示実施後に千束三丁目・四丁目となり、行政地名から吉原の名前は無くなっています。
アクセス:東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅、都電三ノ輪橋駅から10~15分
近隣の千束通り商店街:
お穴さま:地中には社地を守護する地主神がいるとされる
社殿:
吉原遊郭の鎮守
吉原神社の御祭神
倉稲魂命
市杵島姫命
九郎助稲荷(縁結び・五穀豊穣・所願成就)
吉徳稲荷(縁結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣)
榎本稲荷(家内安全・商売繁盛・五穀豊穣)
明石稲荷(火災除け・町内安全)
開運稲荷(開運・幸運・招福)
吉原弁財天(開運・財運・歌舞音曲芸能上達・弁舌)
吉原神社のご利益
開運、商売繁盛、技芸上達
境内社
お穴さま:地中の神様で、吉原神社の土地を守る地主神。心を込めてお参りすると福が得られると云います。
パワースポット
逢初桜:逢桜とは、恋焦がれている人に初めて会うとう意味。
備考:浅草七福神の弁財天を担う。千束稲荷神社の兼務社。久保田万太郎の句碑。
例大祭:5月第三金・土・日曜
吉原神社の由緒
吉原神社の創建には、江戸時代に幕府公認の遊郭だった吉原遊郭(新吉原)との関わりがあります。慶長8年(1603)、征夷大将軍に任じられた徳川家康が江戸幕府を開府しました。江戸の町は徐々に人口が増え、それにつれ遊女屋も増えて、数か所に点在していました。しかし、江戸の町づくりのため何度も移転を強制された。困った遊女屋たちが、固定場所の遊郭設置を陳情したと云います。
慶長17年(1612)に、庄司甚右衛門を代表とする遊女屋の陳情が受理され、ここで「吉原遊郭」が誕生しています。当時の吉原遊郭は、現在の日本橋人形町の辺りでした。ところが明暦3年(1657)に、明暦の大火が発生し、吉原全域が消失し移転を余儀なくされました。
全焼した吉原の移転先は、新吉原と呼ばれ、浅草田圃(現在地の千束)に移り当地で定着しています。
当社の公式サイト掲示による由緒:
当社は吉原遊郭とともに歩んできた神社です。吉原遊郭は元和3年(1617)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女家を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1667)に当時は竜泉寺村とよばれていた現在地に移転となりました。以後、日本橋萱屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「吉徳稲荷社」、さらに郭内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
その後明治14年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。当初は吉徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失。震災後は水道尻付近の仮社殿にお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。
吉原神社の基本情報
- 名称:吉原神社
- 所在地:東京都台東区千束3ー20ー2
- アクセス:【電車】東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」・「入谷駅」徒歩11分。つくばエクスプレス「浅草駅」徒歩11分。
- 主催ホームページ:コチラ より