朝日稲荷神社 東京のパワースポット-銀座八丁神社巡りの札所-イパネマおやじ

朝日稲荷神社の社殿

朝日稲荷神社(あさひいなりじんじゃ)は、東京都中央区銀座に鎮座する神社です。東京メトロ「銀座駅」「銀座一丁目駅」「東銀座駅」「有楽町駅」から徒歩5~10分程の場所で、一般のビルの屋上に鎮座しています。まさに大東京のど真ん中!という場所ですね。

銀座の街の沿革は、江戸時代に徳川家康が銀貨の鋳造所を設置したのが始まりと云います。銀貨の鋳造所なので「銀座」という通称が付き、それが地名として定着しました。明治5年に大火が起こり、焼けた街を再生する際、街路整備を進めるにあたり、レンガを基本とした耐火性のある家屋の建築が行われていきました。これが契機となり、おしゃれな街並みが生まれました。
明治5年に、新橋と横浜間を走る鉄道が開通しています。新橋駅は銀座と隣接する場所だったので、西洋からの物資や西洋風のレストランや商店が増えていきました。やがて、銀座へ行きウィンドウショッピングや食事をすることが、最先端の流行となり「銀ぶら」が流行語として定着するまでになりました。
その後、大正12年に発生した関東大震災により、銀座のレンガ街は倒壊し街全体が火災で消失しました。だが力強く復興が始まり、百貨店などが次々と進出してきました。大正14年に、最初の百貨店の銀座松屋が開店しています。昭和4年には、不動産賃貸額が日本橋を抜いて全国一となり、「銀座」の名前が広く知られることになりました。

銀座の街並み

銀座の街並み2

銀座の街並み3

銀座の街並み:

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朝日稲荷神社

朝日稲荷神社社殿

朝日稲荷神社の社殿

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 銀座八丁神社巡りの札所

朝日稲荷神社の御祭神

倉稲魂命

朝日稲荷神社のご利益

商売繁盛、縁結び、家庭円満 

備考:赤坂日枝神社の兼務社

例大祭:2月の初午

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朝日稲荷神社の由緒

朝日稲荷神社の創建年代は不詳だが、安政2年(1855)に発生した安政江戸大地震で、社殿が崩壊して放置されていたと云います。関東大地震の際、三十間堀の堀底が隆起し、霊体が顕れたことから社殿を再建したと云います。

当社の掲示による由緒

朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。 しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
大正6年、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れ、建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され、東京市の管理化にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。
戦後社殿を再建し、昭和28年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
毎年初午に盛大に祭を催し、また、神社巡りの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。
商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。

朝日稲荷神社の基本情報

  • 名称:朝日稲荷神社
  • 所在地:東京都中央区銀座3ー8ー12 大広朝日ビル
  • アクセス:【電車】「銀座駅」「銀座一丁目駅」「東銀座駅」「有楽町駅」徒歩5~10分。
  • 主催ホームページ:コチラ より

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