登戸稲荷社 神奈川のパワースポット-旧登戸村の鎮守-イパネマおやじ
- 登戸稲荷社は、神奈川県川崎市多摩区登戸に鎮座する神社です。正式な社号は「稲荷社」ですが、一般的には登戸稲荷神社と呼ばれています。川崎市は縦長の地形で、登戸はJR南武線の川崎駅と立川市にある立川駅の中間辺りに位置します。
- 江戸時代には、赤坂御門を起点とする津久井街道が、三軒茶屋で分岐して多摩川を渡り、登戸を通り生田・柿生、柿生から相模原台地の北部へ至る要所でした。津久井街道は、別名を絹の道と呼ばれ、他にも薪や炭、生糸、柿、梨などを江戸へ運んだといいます。
最寄り駅の登戸駅:JR南武線と小田急線「登戸駅」より徒歩5~7分です
登戸稲荷社鳥居:
境内の風景:
拝殿天井部の彫刻:
鏝絵(こてえ):本殿の壁面にある龍の漆喰絵はガラスで保護されている
神楽殿と授与所:
戦役記念碑:境内にある石碑。中央は乃木希典の書とある
掲示板:創建当時の登戸村には左官職人が多く住んでいて壁面には希少な漆喰絵が描かれている
境内にそびえる銀杏の古木:
登戸の鎮守
登戸稲荷社の御祭神
宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)
合祀神
牛頭天皇(ごずてんのう)
天照大神(あまてらすおおかみ)
大山咋神(おおやまくひ)
金山彦神(かなやまひこ)
金山比女神(かなやまひめ)
登戸稲荷社のご利益
五穀豊穣:
商売繁盛:
家内安全:
諸願成就:
境内社 または遺跡(建造物など)
鏝絵(こてえ):本殿外壁に左官職人が漆喰を使って仕上げた彫刻絵。(関東大震災で被災、一部だけ現存する)
例祭日:9月7日
登戸稲荷社の由緒
登戸稲荷社の創建年代は不詳だが、武田家の家臣吉沢兵庫がこの地で帰農した際、邸内の鎮守としたのが始まりで、登戸村小名東耕地の鎮守だとされています。
新編武蔵風土記稿による由緒:
登戸村稲荷社 村の乾の方小名東耕地あり、この所の鎮守なり本社は纔(ひたた)なる祠にて、拝殿三間に二間東方向内に石の鳥居あり、勧請の年歴を傳えず、村内光明院の持。
神奈川県神社誌による由緒:
甲州武田の小荷駄奉行吉沢兵庫が登戸に帰農し、その邸内にあった社が稲荷社の始まりと伝える。天正18年(1580)、多摩川の洪水で社殿は流失したが、後に、中村の旧屋敷の敷地を譲り受けて再建した。もと鳥居前に寛政6年刻銘の鳥居があったが嵐で倒潰し、社殿も大損害を受けたため、現在の社殿を再建した。
登戸稲荷社の基本情報
- 名称:登戸稲荷社
- 社号:稲荷社
- 所在地:神奈川県川崎市多摩区登戸2297
- アクセス:【電車・バス】JR南武線、小田急線「登戸駅」より徒歩10分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ(神奈川県神社庁):コチラ より