赤塚諏訪神社 東京のパワースポット-下赤塚村の鎮守-イパネマおやじ
- 赤塚諏訪神社(あかつかすわじんじゃ)は、東京都板橋区大門に鎮座する神社です。中山道(国道17号線)と高島通りの合流点付近、高島平ICの南側に位置します。都営三田線「新高島平駅」「高島平駅」より徒歩で10分余の道のりです。
- 鎮座する高島平の街は、1970年頃まで徳丸・赤塚田んぼと呼ばれていました。1966年から日本住宅公団により土地整理事業が行われ、住宅地が増えていき現在のような巨大団地を有する街へと変わっていきました。
- 当社の「田遊び」とは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。昔は、広大な水田地帯であった徳丸・赤塚地域に伝えられる、水田耕作にかかわる重要な行事です。年の初めに、五穀豊穣と子孫繁栄を祈る祭りです。毎年2月13日の夜に行われます。元々「板橋の田遊び」だったのが、昭和51年(1976)に国の重要無形民俗文化財に指定されています。
最寄りの都営三田線高島平駅:
高島平の街の風景:
赤塚諏訪神社表鳥居:
隋神門:
神楽殿:
境内社:大国神社・稲荷神社・薬師神社の合祀社
百度石:
石碑:水神宮
境外社:本社とは飛び地にある赤塚浅間神社。富士浅間信仰の富士塚が造られた
こぶ欅:本社とは離れた飛び地にそびえる。板橋区の天然記念物に指定
下赤塚村の鎮守
赤塚諏訪神社の御祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ)
赤塚諏訪神社のご利益
勝利祈願:
子孫繁栄:
開運招福:
境内社 または遺跡(建造物など)
大国神社、稲荷神社、薬師神社、秋葉神社、水神宮
赤塚浅間神社(境外社):創建の年代は不詳、明治時代に富士浅間信仰が流行、明治5年前後には富士塚が創建されたと云います。
備考:田遊び 毎年2月13日(旧暦の正月十三日)
例祭日:9月下旬
赤塚諏訪神社の由緒
板橋区教育委員会の境内掲示による由緒:
諏訪神社と無形文化財(田遊び)
御祭神建御名方神。
創建年代は不詳であるが、赤塚の領主千葉介自胤が、長禄年間(1457~60)に信濃国(現長野県)の諏訪大社を勧請し、武運長久を祈願したと伝えられる。その後寛永七(1630)年頃に十羅刹女を配祀したが、神仏分離の際これを廃した。
江戸時代の江戸名所図会には、「田遊び」神事が記載されている。田遊びは、水田耕作にかかわる神事で、年の始めにあたりその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る「予祝」の祭である。毎年二月十三日(旧暦の正月十三日)の夜に行われ、本殿と大鳥居間朝輿の渡御の後、社前に設けた「もがり」の中で一年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられている。
昭和五十一年に徳丸北野神社の田遊びとともに国の重要無形民俗文化財に指定された。
赤塚諏訪神社の基本情報
- 名称:赤塚諏訪神社
- 所在地:東京都板橋区大門11ー1
- アクセス:【電車】都営三田線「新高島平駅」徒歩12分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ(板橋区公式ホームページ):コチラ より