駒込妙義神社 東京のパワースポット-豊島区最古の神社-イパネマおやじ
- 駒込妙義神社(こまごめみょうぎじんじゃ)は、東京都豊島区駒込に鎮座する神社です。元々、当社のある駒込という町は、現在の豊島区駒込の他に文京区の本駒込や千駄木、谷中、向丘、西方の一部からなる「駒込村」という広いエリアだったといいます。
- 古くから日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝承が伝わり、妙義神社がその舞台となっていて、白雉2年(651)に創建されたといわれています。この由来から、当社は豊島区で最も古い神社とされています。駒込駅の南側本郷通り沿いには数多くの寺社が並んでいます。夏から秋にかけては、それぞれの神社の祭礼が行われる賑やかな町でもあり「関東の駅百選」にも選ばれています。
東京メトロ「駒込駅」:都道455線沿いに妙義神社の道標(付近の道は妙義坂という)
駒込妙義神社鳥居:
参道への階段:
手水舎:
手水舎:花手水の仕様になっている
社殿:
境内社:天満宮道灌霊社・月社・天王社・弓箭社劔刀社を合祀
銭洗辨財天:銭洗いの作法が表示されている
弁天様:銭洗辨財天の水盤の傍らに鎮座
絵馬掛と案内板:
社務所:
太田道灌が崇敬した戦勝の宮
駒込妙義神社の御祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
相殿神
高御産霊神(たかみむすびのかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
駒込妙義神社のご利益
勝負運:
境内社 または遺跡(建造物など)
天満宮道灌霊社・月社・天王社・弓箭社劔刀社を合祀
備考:令和2年(2020)に新社殿の造営や境内整備が行われ真新しい装いになっている。
例祭日:9月第三土・日曜
駒込妙義神社の由緒
妙義神社は、日本武尊が東征の際に当地に陣を取り、後社を建て白鳥社と号したと云います。武神として崇敬を集め、室町時代になり江戸城を築いたことで有名な太田道灌が、戦の度に戦勝を祈願をし、連戦連勝を収めたことから「勝戦の宮」とも称されたといい、太田道灌奉納の品も江戸時代までは残っていたと云います。
当社の掲示による由緒:
- 伝承によれば、日本古代史における伝承上の英雄 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、当時東国にいた民族である蝦夷を討つために東征した際、この妙義神社がある場所に陣営を構えたと伝えられています。日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から、白雉(はくち)2年(651)5月12日、白鳥社と号しました。
- 最初に江戸城を築いた室町時代後期の武将 太田道灌は、文明3年(1471)5月、古河公方 足利成氏との戦に出陣する際、当社に参詣し、神馬、宝剣を寄進し戦勝を祈願しました。その時、近臣である樋口与三郎兼信と次のような連歌を詠んだと伝えられています。「雲はらふ この神垣※の風の音」と連歌を詠み足利成氏を敗走させたという。
- その後、文明9年(1477)春、平塚城(現在の東京都北区上中里)を拠点とし関東管領上杉家に反旗を翻した豊島勘解由左衛門を討伐する際や(長尾景春の乱)、同11年(1479)春、室町幕府に造反した千葉孝胤を攻める際にも道灌は当社に必勝を祈願し、見事勝利を収めました。この様なことから、当社は当時から「勝負の神様」「戦勝の宮(みや)」と呼ばれることとなり、人々よりあつい信仰を集めました。
- かつて当社には、道灌の木像や道灌が奉納した宝剣、古文書・古記録など様々な社宝がありましたが、残念ながら、大正12年(1923)9月に起きた関東大震災や昭和20年(1945)4月の空襲により、社殿・社務所とともにすべて焼失しました。豊島区内では最古の神社として伝えられています。
駒込妙義神社の基本情報
- 名称:駒込妙義神社
- 所在地:東京都豊島区駒込3ー16ー16
- アクセス:【電車】JR山手線「駒込駅」徒歩5分。東京メトロ南北線「駒込駅」徒歩5分。
- 駐車場:有り(要・事前の連絡)
- 主催ホームページ:コチラ より