善國寺 東京のパワースポット-江戸三大毘沙門の一つ-イパネマおやじ
- JR飯田橋駅の改札を出て、旧江戸城外堀跡の石垣を左に見ながら、外堀とJR線に架かる牛込橋を渡り、緑と水の豊かな外堀を眺めながら、外堀通りの神楽坂下交差点まで歩きます。神楽坂下の交差点を渡ると、ゆるやかな勾配のある道路が神楽坂通りです。
- 神楽坂は小高い丘のような地形の中央に神楽坂通りが走っていて、その両側には歴史ある老舗やコンビニエンスストアなど様々な店舗が軒を連ねています。店舗の並んでいる神楽坂通りを5分程歩いていくと、左手に善國寺の朱赤色の山門が見えてきます。神楽坂通りから一歩裏道へ入ると、明治・大正時代には花柳界として発展した面影を残す、細い路地の石畳や黒塀があり、和食店やレストランなど多数の飲食店があります。
- また、神楽坂はフランスと縁が深く”リトル・パリ”と呼ばれる程です。その縁となったのは、日仏文化交流機関のアンスティチュ・フランセ(旧東京日仏学院)が1952年に開校したのがキッカケとなりました。その後もフランス語インターナショナルスクールの東京フランス学園が開校されるなど、フランスのコミュニティが発展していった経緯があります。現在は、フランス料理の店も多くあり、在日フランス人が好んで住む町としても有名です。
開運・招福のパワースポット
善國寺の御本尊
毘沙門天像:
- 毘沙門天は、古代インドのヒンドゥー教で金運と福徳の神とされていました。その後、中央アジアを経て中国に伝わる過程で、仏教を守る武神としての信仰が生まれ、戦いや勝利の神様として、鎧を身に着けた武将の姿で表現されるようになっています。日本では財福の神様として信仰を集めています。
- 日本では、持国天、増長天、広目天と共に、四天王の一尊として安置する場合は「多聞天」と呼び、独尊として安置する場合は「毘沙門天」と呼びます。四天王は、仏の住まわれる天上界を守護し、多聞天(毘沙門天)は北方を守護する武神ということになります。
- 毘沙門天の名前は、本来は梵名ヴァインシュラヴァナといい、これを漢字で表すと「毘舎羅門(びしゃらもん)」で、これが更に変化して「毘沙門」になったといわれます。武神としての他にも、疫病を祓い無病息災を願う神様として、毘沙門天を祀っているお寺や神社もあります。
- 毘沙門天像は、普段は御簾がかかっていて拝見できませんが、正月の初寅・二の寅の日、5月と9月の初寅の日に開帳されます。
善國寺の御利益
厄除
金運
商売繁盛
勝運
健康長寿
開運・招福:古来より百足は毘沙門天の使いとされ、百の足で福をかき込むことから福百足(ふくむかで)と呼ばれ、開運・招福の御利益をもたらすことで知られています。その百足にちなんだ「ひめ小判守」というお守りがあり、毘沙門天像の御開帳の日に限り授与されます。
神楽坂通りから1本裏道へ入ると、細い石畳の路や黒塀があり多くの飲食店がある。かって花柳界があった面影をしのばせる町並みがある
善國寺山門(内側):
本堂の階段前の石碑・山門の柱の看板(右):
参道から本堂を望む:
境内にある絵馬掛所:
出世稲荷(左)出世稲荷の祠 浄行菩薩像が安置されている(右):
本堂:
本堂の入り口にある扁額には「鎮護山」と表示されている:ご本尊は御簾がかかっていて、通常は拝見できませんが、正月の初寅・二の寅の日、5月と9月の初寅の日にはご開帳される
神楽坂毘沙門天の由緒
- 徳川家康より天下安全の祈祷の命を受け、日惺上人(後の池上本門寺十二世)が麹町六丁目に文禄4年(1595)に創建、その後寛政5年(1793)に現在の地に移転したとされています。善國寺毘沙門堂の毘沙門天像は、戦国武将の加藤清正の守本尊だったといわれ、土中より出現したとされています。
- 芝正伝寺、浅草正法寺と共に「江戸三毘沙門」と呼ばれ、「神楽坂の毘沙門さま」として江戸庶民の信仰を集めました。創建されてから約220年を経て、現代では「新宿山ノ手七福神」の一つに数えられ、新たなパワースポットとして人気があります。
神楽坂毘沙門天の基本情報
- 名称:鎮護山 / 善國寺 / 日蓮宗
- 所在地:東京都新宿区神楽坂5ー36
- アクセス:東京メトロ・南北線・有楽町線「飯田橋駅」徒歩5分、東京メトロ・
- 東西線「神楽坂駅」徒歩6分
- 東京メトロ・南北線
- 都営地下鉄・大江打線「牛込神楽坂駅」徒歩6分
- JR・総武線「飯田橋駅」徒歩7分
- 駐車場:なし