出雲大社東京分祠 東京のパワースポット-都内唯一の出雲大社分祠-イパネマおやじ

神殿
  • 出雲大社東京分祠(いずもおおやしろとうきょうぶんし)は、東京都港区六本木に鎮座する神社です。島根県にある出雲大社の御分霊を祀っている都内唯一のお社です。東京に居ながらにして出雲大社へのお参りが叶います。正式名称は「いずもおおやしろ」ですが、一般的には「いずもたいしゃ」とも呼ばれます。
  • 東京メトロ日比谷線の六本木駅から徒歩で2分程で、路地を一本入った街並みの中にあるビルの3階にあるので、普通の神社の立地イメージからは、意外な感じですね。六本木の繁華街の中にあり、周囲は飲食店やビルが立ち並んでいます。路地を出て表通りに立つと、目の前に六本木ヒルズが望めます。

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出雲大社東京分祠

2階フロアに表札が出ている。社殿は3階なので更に階段を昇る

祓社

祓社(はらいやしろ):社殿の参拝前にこちらで身を清める場所。

祓社

祓社:

祓社

祓社:

社殿

出雲大社東京分祠

神殿(社殿):

社殿

出雲大社東京分祠

参道入口:ビルの3階に社殿がある

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 都内唯一の出雲大社分祠

出雲大社東京分祠の御祭神

大国主大神:

出雲大社東京分祠のご利益

縁結び:

夫婦円満:

子授け:

病気平癒:

商売繁盛:

境内社 または遺跡(建造物など)

祓社(はらいやしろ):社殿の参拝前に身を清める場所。

備考:拝礼作法は、二礼四拍手一拝の出雲式作法で拝礼をします。

例祭日:4月12日(春季大祭)、10月15日(秋季大祭)

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出雲大社東京分祠の由緒

  • 出雲大社の分詞である当社は、出雲大社教の東京出張所も兼ねています。明治6年(1873)に、出雲大社大宮司の千家尊福が出雲信仰を広めるため「出雲大社敬神講」創設、出雲大社社務所内に大社教院を設けています。その後、改称されて「出雲大社教会」となり布教のための教会となる。
  • 元々、明治11年(1878)に千家尊福は東京での布教の要として「神田神社」社務所内に出雲大社教会の東京出張所を設けています。これが東京分祠の起源となります。神田神社は出雲系の氏族により創建されたといい、出雲派との関わりが深く、東京での拠点となっています。

当社の掲示による由緒:

  • 出雲大社東京分祠は、出雲大社八十代宮司で出雲大社教の初代管長である千家尊福公が、東京及び東日本の御神徳宣布のため、明治11年1月11日、 千代田区神田にある神田神社社務所内に、東京出張所を設けたのに始まります。
  • 神田神社は、出雲大社と御祭神が同じだけでなく、当時の宮司は平田学派の平田盛胤でその関係も深く、また初代の出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊頴で、祭神論の当時は東京における出雲派の拠点でもありました。やがて、明治政府の宗教政策により神職による布教が禁じられたことで、明治15年5月尊福公は出雲大社教の特立をはかることになりますが、それに先立って東京出張所は明治15年4月4日麹町区上二番町に移転されました。明治16年5月4日には東京出張所に神殿を設立し、尊福公が親しく出雲より御分霊を奉じて鎮祭し、ここに出雲大社東京分祠が建立されたのです。
  • 同年5月12日には有栖川宮幟仁親王の御臨席を仰いで落成式を行い、神殿には同宮の筆になる「経国治幽」の額が掲げられました。この時、明治天皇から大和錦二巻を御下賜せられたこと、及び尊福公自ら建立したことは分祠の歴史の深さを示すものに外なりません。明治22年、千家尊弘出張所長の時、麻布区材木町(港区六本木七丁目)に神殿は移転されました。

出雲大社東京分祠の基本情報

  • 名称:出雲大社東京分祠
  • 所在地:東京都港区六本木7ー18ー5
  • アクセス:【電車】東京メトロ日比谷線「六本木駅」より徒歩2分。都営大江戸線「六本木駅」より徒歩5分。東京メトロ千代田線「乃木坂駅」より徒歩10分。
  • 駐車場:なし
  • 主催ホームページ:コチラ より

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