烏森神社 東京のパワースポット-新橋の鎮守-イパネマおやじ
- 烏森神社(からすもりじんじゃ)は、東京都港区新橋に鎮座する神社です。都心の大ターミナル新橋駅から徒歩で2~3分の繁華街の真ん中にあります。現在の新橋周辺は、かって武蔵国の桜田村と呼ばれ、海が現在よりも近くにあり、当地一帯は砂浜だった云います。
- 日比谷神社と共に新橋の鎮守であり隔年の交代で例大祭が行われ、千貫神輿と呼ばれる大神輿が、新橋駅前を宮出とし、氏子町会を渡御します。
新橋駅と周辺の風景:
大通りから一歩裏にある飲食店街内にある:
鉄筋コンクリート造りの社殿:狭小なスペースだが個性的なデザイン
参道から社殿を望む:
新橋の鎮守
烏森神社の御祭神
倉稲魂命:
天鈿女命:
瓊々杵尊:
烏森神社のご利益
開運:
良縁:
金運:
無病息災:
境内社 または遺跡(建造物など)
木遣塚(きやりづか)、力石
例祭日:5月4・5・6日
烏森神社の由緒
当社の掲示による由緒:
- 烏森の地は、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で、一体は松林であった。その為当時この地帯は「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていた。しかもこの松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになった。それが烏森という名の起こりである。明治以降昭和7年まで町名として使われていたが、その後新橋に改められ、今ではJR新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。
- 平安時代の天慶3年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが、烏森稲荷の起こりである。
- 明暦の大火(世界三大大火の一つに数えられる俗名 振袖火事)が起こった際、江戸市中は焼け野原となり、もちろん当社の周辺も大方焼けてしまった。ところが烏森稲荷社だけは不思議にも類焼を免れたのである。これは神威の致すところと考えられ、以降当社に対する信仰は日に日に厚くなっていった。
また、椙森神社(日本橋)柳森神社(神田)と併せ「江戸三森」として古くから崇敬されている。明治6年にはこれまでの烏森稲荷社の社名を烏森神社と改め、新橋烏森の守り神として多くの人々の信仰を得ている。昭和46年には御社殿を造営し現在に至っている。
東京都神社名鑑による由緒:
天慶三年(九四〇)に、平将門が東国で叛乱を起こしたとき、征討将軍藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも、このとき勧請したとも伝えられている。室町時代享徳四年(一四五五)には、室町幕府の関東管領、古河公方といわれた足利成氏は戦勝を祈願し、その祈願状は今日も社宝として伝えられている。当社が隆昌におもむいたのは、振袖火事に類焼をまぬかれてからで、神威高大と、霊験は日をまして現われていった。祭礼は、稲荷信仰にしたがって、二月初午の日で幸橋御内外、二葉町海岸の旅所に神輿の神幸があり、氏子町は、山車踊り、練物等を出し、稲荷祭として、その賑わいは江戸で一、二を争うものであった。明治以降社名は烏森神社に、祭礼は五月四・五・六日に改め、夏祭りのはしり、鳥森祭としてその名をうたわれている。二月初午の日を稲荷祭とすることは、今も同じで「杉の葉守」の神符を授与している。
烏森神社の基本情報
- 名称:烏森神社
- 所在地:東京都港区新橋2ー15ー5
- アクセス:【電車】JR新橋駅、東京メトロ銀座線、都営浅草線、ゆりかもめ「新橋駅」より徒歩3分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より