鬼子母神堂 東京のパワースポット-江戸三大鬼子母神-イパネマおやじ
鬼子母神堂は、東京都豊島区雑司ヶ谷にあるお堂です。巨大ターミナルの池袋駅からも近いので、喧騒の中にある街並みを連想しますが、雑司ヶ谷霊園もあり閑静な街並みの残る場所です。
最寄りにある都電荒川線鬼子母神駅:
近くの街並み:
武芳稲荷堂(たけよしいなりどう):
参道から本堂を望む:
法不動堂(のりふどうどう):
江戸三大鬼子母神
鬼子母神堂の御本尊
鬼子母神像:
鬼子母神堂のご利益
安産・子安:
鬼子母神堂の由緒
- 鬼子母神堂は、法明寺の境外仏堂です。室町時代の永禄4年(1561)に文京区目白台の清土鬼子母神で出土したと伝えられる鬼子母神像を祀った堂で、安土桃山時代の天正6年(1578)に創建されたと云われる。子授け、子育ての神として信仰されています。
- 現在の鬼子母神堂は、大型の権現造の神社建築で国の重要文化財に指定されている。近くにある日蓮宗法明寺の境外仏堂であり、明治維新の神仏分離を免れた。江戸時代は、表参道に鳥居が立つ、雑司ヶ谷村の総鎮守であったが祭神が鬼子母神であったため神仏分離の際に仏堂と判断されている。
- 鬼子母神堂より掲示してある縁起:
- 当山におまつりする鬼子母神のご尊像は室町時代の永禄4年(1561)5月16日、雑司の役にあった柳下若狭守の家臣、山村丹右衛門が清土の地の辺りより掘り出し、星の井(清土鬼子母神 / 別称、お穴鬼子母神 / 境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
- その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664年)徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常公の息女で、広島藩主浅野光晟(みつあきら)に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されています。
- 昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われました。また、平成28年7月には国指定 重要文化財になりました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。
- 新編武蔵風土記稿による縁起:
- (雑司ヶ谷村)鬼子母神神社
- 村の鎮守なり、圓満具足神大黒天を配祀せり、相傳ふ當社造立の由来は、永禄四年五月村民丹右衛門と云もの、村内小名清土の畑中より一の佛像を掘出し地主柳下某かもとへ持行てかくと告げるに、佛像なれば法明寺々中東陽坊へ納め然へしとて彼坊に安置せり、其後安房國の旅僧来て彼像を奪去しに、歸國の後狂亂して云、我は是雑司ヶ谷の鬼子母神なり、いかてか此地に移るへき、急き舊地に復すへしとなり、よつて其由を懺悔して東陽坊へ返せしより、僧俗ともに参詣するもの多し、斯て天正六年四月今本地堂と唱ふる稲荷の社地へ假初の社を營み安置せり、其時の棟札今に蔵す左の如し。其後寛文六年、松平安藝守光晟の室法名自昌院英心日妙か寄進にて、今の如く客殿拝殿等新に造營ありしより世に聞ふる靈地となれり、毎年正月十六日奉射祭の式あり、又近き年まて六月草薙の祭と云もありしか今は廢せり、十月八日より十八日迄は日蓮影供の會式なれば参詣の人群集しいと賑はへり、法明寺寺中大行院持。
- 末社稲荷社。弘治年中の勧請にて別に除地を附す、天正年中始て鬼子母神を此社地へ祀る故に、當社を土人は本地堂と唱ふ、因て有徳院殿御成の時は必當社へ成らせられ、夫より鬼子母神へ御立寄ありしと云。
鷲明神社。痘瘡守護神なり、祭神瓊瓊杵尊、正徳年中の勧請と云、神體は一寸五分許の白茶色の小石なり。
妙見社。石像仁王。銀杏樹。楠正成關東下向の時此所に松銀杏の二樹を植しが、今は此の銀杏のみ殘ると雖、幹は枯れて蘖なりと寺傳に記せり。門前町屋。間口六十四間、歩數七百五十七、延享二年町奉行支配となる。
備考:雑司ヶ谷七福神の大黒天:
例祭日:10月16~18日
鬼子母神堂の基本情報
- 名称:鬼子母神堂 / 日蓮宗
- 所在地:東京都豊島区雑司ヶ谷3ー15ー20
- アクセス:【電車】JR池袋駅東口より徒歩15分。JR目白駅より徒歩徒歩15分。都電荒川線「鬼子母神駅」より徒歩5分。東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」より徒歩5分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より