國領神社 東京のパワースポット-千年乃藤のお宮-イパネマおやじ

社殿
  • 國領神社(こくりょうじんじゃ)は、東京都調布市国領町に鎮座する神社です。「千年乃藤」で有名な藤の花の名所です。京王線「布田駅」から徒歩で5分程の場所にあるので、駅舎からを出て周囲を見渡してビックリです。というのは、布田駅の脇を走る道路を以前(約20年前)はたまに車で通ったことがあったのですが、別の場所のように変貌していました。
  • 現在は駅舎が地下化していて、線路と踏切が無いので方向感覚が掴めません。駅の脇を走る道を直進すれば甲州街道へ出るのですが、どっち方向だっけ?という程当時の面影がありません。当時の踏切を渡る際は、フタコブラクダの背中のように凹凸のある路面で、車底が路面をコスルような状態でした。「よくこんな踏切の状態を放置しておくもんだ」と京王電鉄の施設の不備を感じたものです。
  • そんな訳ですから、当然ながら周囲の建物や雰囲気の様変わりしている道を歩くと、甲州街道の交差点に至り右折すると、スグに國領神社の石碑があります。訪れたのは秋なので、有名は藤の花は開花していませんが境内全体に藤棚が設けられ全体を覆うようになっています。”こぢんまり”とした境内ですが何となく落ち着く雰囲気がありました。

最寄り駅の布田駅

最寄りの京王線布田駅:

甲州街道の風景

甲州街道の風景:甲州街道沿いに鎮座

仕切りライン小

国領神社

神輿庫

國領神社神輿庫:

手水舎

國領神社手水舎:

社殿

参道から社殿を望む:

絵馬掛所

絵馬掛所:

境内の風景

境内の風景:

境内社

境内社:稲荷社

稲荷社

瘡守稲荷(左)・八雲稲荷(右):

千年乃藤

御神木:「千年乃藤」と呼ばれ「調布八景」に指定されている

千年乃藤

境内の看板

社務所

國領神社社務所:

仕切りライン大

 千年乃藤のお宮

國領神社の御祭神

神産巣日神(かみむすひのかみ):

相殿神

天照大御神(あまてらすおおみかみ):

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

國領神社のご利益

延命長寿:

子孫繁栄:

商売繁盛:

万物繁盛:

境内社 または遺跡(建造物など)

瘡守稲荷・八雲稲荷

パワースポット

千年乃藤:災厄を防ぎ守るご神木として崇敬を集めている樹齢400~500年の藤の木。

備考:都内の藤の名所として有名。境内全体に藤棚が広がっている。

例祭日:4月12日(春季例大祭)、10月12日(秋季例大祭)

仕切りライン大

國領神社の由緒

創建の年代は不詳ですが、鎌倉時代に多摩川河畔に鎮座していた、第六天神を祀る第六天社が始まりと云います。その後、江戸時代になって度重なる多摩川の洪水を避けて国領町に遷座したとされています。明治4年に村社に列格、昭和37年に当地にあった神明社の地に第六天社(八雲社)を遷座合祀して國領神社と改称したと云います。

当社の掲示による由緒:

  • 國領神社は、國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社です。
  • 國領神社と神明社の創建年月については共に不明です。
  • 國領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとり(杉森1289、1288、1268)に鎮座していました。第六天社は薬師寺(現常性寺)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第6番目の第六天神でした。甲州街道が整備される江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設されたとき、同じく調布町大字國領148番地(現在の調布市八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の所)に遷座しました。
  • 神仏分離の明治2年に寺から分かれ村有となり、祭神を神産巣日神とし、國領村の鎮守として崇敬されていました。明治4年10月に村社に列せられ、明治8年10月に國領神社と改称しました。

新編武蔵風土記稿による由緒:

  • 多摩郡 府中領 國領宿
  • 第六天社 小社 当宿ノ鎮守ナリ 除地ノ内北方ニアリ 本堂ヲ距ルコト凡二町

國領神社の基本情報

  • 名称:國領神社
  • 所在地:東京都調布市国領町1ー7ー1
  • アクセス:【電車】京王線「布田駅」より徒歩5分。
  • 駐車場:有り(催事開催時・藤の開花時期は不可)
  • 主催ホームページ:コチラ より

仕切りライン大