石神井氷川神社 東京のパワースポット-旧石神井郷の総鎮守-イパネマおやじ
- 石神井氷川神社(しゃくじいひかわじんじゃ)は、東京都練馬区石神井台に鎮座する神社です。最寄り駅は、西武池袋線「石神井公園駅」か西武新宿線「上石神井駅」で、どちらのコースも徒歩で15分少々かかる距離にあります。健康のためには軽い運動を兼ねてお詣りしてみましょう。正式名称は「氷川神社」ですが、近隣にも同名の氷川神社があるので「石神井氷川神社」と呼ばれています。広大な石神井公園に隣接していて、石神井氷川神社の境内だけでも約二千坪もあり、周辺一帯は東京都の風致地区に指定されてきました。
- 石神井の地名の由来は、その昔、この地で井戸を掘った際に出てきた石の剣(または石の棒)を、村人たちが神様(石神様)として祀ったことに由来すると云いわれています。石神井公園には、鎌倉末期から後期にかけて築城された石神井城跡が存在します。当時、現在の東京都北西部一帯に勢力を誇っていた豊嶋氏の本拠地でしたが、文明9年(1477)太田道灌により攻め落とされ廃城となっています。落城の際、生まれた照姫の悲話伝説が、毎年5月に石神井公園で開催される「照姫まつり」の由来とされています。
最寄りの西武池袋線石神井駅:石神井公園の風景:
参道から社殿を望む:
水琴窟:
神楽殿:
境内社:北野神社「浅間・御嶽・阿夫利・三峯・榛名」、「八幡・須賀・稲荷・三島」合殿
儀式殿:
旧石神井郷の総鎮守
石神井氷川神社の御祭神
須佐之男命
相殿
稲田姫命・大己貴命
石神井氷川神社のご利益
厄除け:
縁結び:
家内安全:
病気平癒:
境内社 または遺跡(建造物など)
北野神社と「浅間・御嶽・阿夫利・三峯・榛名」の合殿に「八幡・須賀・稲荷・三島」の合殿
備考:旧石神井郷総鎮守
例大祭:10月第3日曜
石神井氷川神社の由緒
当社の掲示による由緒:
この石神井氷川神社は、石神井郷の総鎮守社です。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む全域の鎮守(守り神)です。かつてはこの地域は、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の五つの村からなっていました。本社はその各村民より、長きに渡りあつい崇敬を受けてきた神社なのです。今日なお、一般に「石神井のお氷川さま」呼ばれ、親しまれています。氷川神社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図絵』等の諸本に、その社名が明記せられていることからも分かります。また、現在する御手洗鉢(社殿の西側、末社の前にある石造りの鉢)にも「石神井郷鎮守社」と刻まれています。神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。
当時の豊嶋氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりであったと伝えられており(現在の「豊島区」という地名は豊嶋氏に由来するものです)石神井城はその領地の西方を護る砦でありました。また同時に豊かにして貴重な水源地である、石神井池(現在の三宝時池)を護る意図もあったと伝えられています。しかし、やがて豊嶋氏は大田道灌に攻められ、善戦するもその甲斐なく退却を強いられました。そして遂に文明九年(一四七七)四月十八日、道灌により石神井城が攻略され、城主豊島泰経(やすつね)とその息女・照姫は池に身を投げて自害されたのです。石神井城落城とともに、栄華を誇った豊嶋氏は勢力を失ってしまいました。豊嶋氏滅亡の悲劇は、今も「黄金の鞍と照姫の伝説」として語り継がれています。
石神井城落城後も氷川神社に対する村民の尊祟は篤く、鎮守の神として仰がれて現在に至っています。また、江戸時代の元禄年間には豊嶋氏の子孫、豊嶋泰盈・泰音により石燈籠一対が奉納されています。豊嶋一族が本社を篤く祟尊していた証とも言えましょう。明治五年十一月に村社に列せられ、同七年四月に郷社に社格が昇格されました(終戦後からは社格制度は廃止されています)。社殿は、本殿・拝殿ともに流造りです。拝殿は明治三十四年九月の落成。本殿は文政年間の建立と推測されるものでありましたが、老朽化が著しく、平成元年より境内整備事業により、社務所、幣殿と共に改修されました。平成四年に新社殿が竣工し、同年九月には本殿遷座祭が約百五十年ぶりに行われ、輝くばかりの新装に御神徳の程を一段と深くしました。
東京都神社名鑑による由緒:
本社は石神井郷の総鎮守にして、谷原、田中、上石神井、関、下石神井の五ヵ村より篤い崇敬をうつけできたのみならず、今日なお一般に「石神井の氷川さま」と尊称され、その御神徳をますます発揚している。本社が石神井郷の総鎮守であったことは『新編武蔵国風土記稿』『江戸名所図会』等の諸誌に明記されているところであるが、現存の御手洗鉢に、「石神井郷鎮守社」と銘刻がのこされているのはそのたしかな証拠であろう。社伝によれば、本社は応永年間(一三五四-一四二八)豊嶋氏が、大宮の武蔵国一ノ宮の氷川神社の御分霊を石神井城内に奉斎したのにはじまるという。しかして、文明九年(一四七七)四月十八日、石神井城が太田道灌によって攻略され廃城となるや、本社は里人の鎮守神と仰がれ、今日におよんでいるのである。御鎮座以来、諸人から厚く尊信されてきたが、ことに豊嶋一族の待遇は格別であったようで、現に本殿の左右にたっている石燈龍一対のごときは、当城歿落後とはいえ、豊嶋氏の子孫、泰盈・泰音によって奉納せられたもので、豊嶋氏が本社崇敬の篤かったことを物語っている。本社は本殿・幣殿・拝殿・神楽殿・神饌所・水舎・社務所・玉垣等が完備されており、社殿は文政年間(一八一八-三〇)にたてられたものと推測される。
石神井氷川神社の基本情報
- 名称:石神井氷川神社
- 社号:氷川神社
- 所在地:東京都練馬区石神井台1ー18ー24
- アクセス:【電車】西武池袋線「石神井公園駅」より徒歩16分。または西武新宿線「上石神井駅」より徒歩15分。
- 駐車場:有り
- 主催ホームページ:コチラ より