住吉神社 東京のパワースポット-海上安全の守護神-イパネマおやじ
- 住吉神社(すみよしじんじゃ)は、東京都中央区佃に鎮座する神社です。佃住吉神社とも称され、佃、月島、勝どき、豊海、晴海の鎮守で海上安全の守護神として崇敬を集めてきました。江戸時代に、隅田川の下流に造成された人工島に建てられた神社です。江戸時代より、江戸湾(東京湾)で漁業や海運業を営む人々を守護してきた歴史があります。
- もんじゃ焼きで有名な月島や築地市場が近く、海に面したエリアです。多くの人気観光スポットがあり、国内外の観光客で賑わっているエリアでもあります。
最寄りの風景:佃島(上)・佃公園(下)
参道から社殿を望む:
住吉神社手水舎:中央区有形文化財に登録
住吉神社拝殿:
境内社:船魂神社(上・下)
境内社:入船稲荷神社
鰹塚:東京鰹節類卸商業協同組合から奉納
海側からの社殿の風景:
佃、月島、豊海、晴海の鎮守
住吉神社の御祭神
住吉三神 (底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)
相殿神
息長足姫命 (神功皇后)、東照御親命 (徳川家康)
住吉神社のご利益
航海安全:
厄除け:
境内社 または遺跡(建造物など)
入船稲荷神社、船魂神社、疫神社、疱瘡神社、龍神社
例祭日:8月6日
住吉神社の由緒
佃住吉神社は、天正18年(1590)徳川家康が関東下降の際に、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の田蓑神社の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴(ほうたい)して江戸へ下り、正保2年(1645)に佃島を竣工し、住吉明神の社地を定めた。天保3年(1646)住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を祭祀し創建したと云います。
当社の掲示による由緒:
- 神功皇后三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。
- その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
- その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
- 佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
- その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。
中央区「区内の文化財」より:
- 住吉神社は、正保3年(1646)6月に摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)の田蓑神社から分神霊を奉遷祭祀した神社です。創建は現在の佃一丁目中心部(地元では「元佃」と呼ばれる)が埋立造成されてから約2年後のことでした。当神社は、田蓑神社宮司・平岡正太夫の弟であった権太夫好次を初代とし、平岡家が代々神職を世襲して今日に至っています。
- 江戸時代には佃島の鎮守や漁業関係者からの崇敬のみならず、社前に広がる江戸湊に諸国からの廻船が数多く沖掛りしたことから、航海安全を祈願する海上輸送業(廻船問屋)や関係する江戸の諸問屋からも篤く信仰されていました。現在も境内に残る石造水盤(木綿問屋仲間であった白子組の奉納)や石造鳥居の額束に掲げられた陶製扁額(陶器問屋の寄進)などからも、その一端が伝わってきます。
住吉神社の基本情報
- 名称:住吉神社
- 所在地:東京都中央区佃1ー1ー14
- アクセス:【電車】東京メトロ有楽町線、都営大江戸線「月島駅」より徒歩5分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より