住吉神社 東京のパワースポット-海上安全の守護神-イパネマおやじ
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、東京都東京都中央区佃に鎮座する神社です。江戸時代に佃島が築かれた際に創建されました。
中央区佃は、東京都心の住所表記ながら下町の風情が残っている町です。佃煮の発祥の地で、現在は少なくなりましたが、古くから続く佃煮の製造工場や佃煮販売の店舗などが点在しています。これらと対照的なのは、隅田川に囲まれた高層マンション群が近くに林立していて近年の町から街への変貌は目を見張るものがあります。佃や新川、大川端河畔には都市開発の波が押し寄せ、街造りのプロジェクトが進んでいます。居住民に必要な、スーパーやカフェ、レストラン、クリーニング店の他にもフィットネスジムまで揃っている街造りが完成しています。
下町風情の残る歴史ある建物と高層マンションが混在するスポットです。江戸時代の、寛永3年(1626)に、墨田中川の河口部にあった島を旗本石川八左衛門が徳川家光から拝領し、その屋敷を構えたことから島を、石川島と呼ばれるようになった。幕末に水戸藩により、石川島に創設された石川島造船所が、明治9年に民間に払い下げられ、当時のIHI(石川島造船所)になったが、昭和54年に操業停止しています。
その結果、現在の佃は落ち着いた街並みに古くからの建物と、旧石川島エリアの高層マンション群が対照的なストっとになっています。
東京湾の風景:
佃島の風景:
鳥居:かなり珍しい陶製の扁額
手水舎:柱の上部の欄間の彫刻は中央区民有形文化財に指定
龍神社:白蛇縁起が伝わっており出世開運・金運上昇の御守が授与される
疱瘡神社・疫神社:疫病を抑えるために創建される
船魂神社:佃島の船大工が祀っていた船魂神を遷座させたと云う
入船稲荷神社:
佃、月島、豊海、晴海の鎮守
住吉神社の御祭神
底筒之男命
中筒之男命
表筒之男命
相殿
息長足姫命
東照御親命 (徳川家康)
住吉神社のご利益
出世開運、金運上昇、海上安全、航海安全
境内社 または遺跡(建造物など)
入船稲荷社、疫神社、船魂神社、龍神社
備考:八角神輿、獅子頭:宮神輿が渡御する前日には、町内を練り歩く
例大祭:8月6日、本祭:海中渡御・船渡御が3年に1度の本祭で行われる
住吉神社の由緒
住吉神社のある佃島は、江戸湊の入口に位置するので、海上安全・航海安全の守護神として多くの人々の信仰を集めてきました。江戸切絵図によると、現在のように佃島と陸地とは橋が架かっておらず、当時は完全な人口島でした。佃島から橋が伸びた先に住吉神社が鎮座していたようです。
天正18年(1590)徳川家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉戴し江戸へ下り、寛永7年(1630)に鉄砲洲向かいの干潟を幕府より下賜されたので築島した。正保2年(1645)に島が出来たので故郷の摂津国佃村に因んで佃島と命名された。
正保3年(1646)故郷の田蓑神社で祀られている住吉三社と共に、息長足姫命、東照御親命を祀り「住吉神社」として創建しました。
当社の掲示による由緒:
神功皇后三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉戴し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行われ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。
東京都神社名鑑による由緒:
天正18年(1590)徳川家康が大阪住吉神社に参拝、その御分霊を神主平岡権太夫好次をして奉仕せしめ江戸に勧請。天保2年(1646)佃島の当地に鎮座した。海上守護・漁業安全の神として信仰厚い。
住吉神社の基本情報
- 名称:住吉神社
- 所在地:東京都東京都中央区佃1ー1ー14
- アクセス:【電車】東京メトロ有楽町線・都営大江戸線「月島駅」より徒歩5分。
- 主催ホームページ:コチラ より