牛嶋神社 東京のパワースポット-撫牛信仰の神社-イパネマおやじ

拝殿

牛嶋神社(うしじまじんじゃ)は、東京都墨田区向島に鎮座する神社です。墨田川沿い、隅田公園の一角に鎮座しています。関東に三ケ所のみにある、とても珍しい三輪鳥居があります。(※ 三輪鳥居:明神鳥居の両脇に小さい鳥居を組み合わせて三門口とした鳥居)

押上駅

最寄りにある押上(スカイツリー前)駅:東京スカイツリーが間近に聳える

スカイツリー

パワースポット小

鳥居

参道口の鳥居から東京スカイツリーを望む:

表参道の鳥居

表参道の鳥居:

手水舎

神楽殿と手水舎:

狛牛

慰霊碑:

小梅稲荷神社

小梅稲荷神社:

撫牛

撫牛:

拝殿

拝殿:

パワースポット大

 東京スカイツリーの氏神様

牛嶋神社の御祭神

須佐之男命(すさのおのみこと)

天之穂日命(あめのほひのみこと)

貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)

牛嶋神社のご利益

五穀豊穣:

厄除開運:

縁結び:

境内社 または遺跡(建造物など)

小梅稲荷神社

パワースポット

撫牛:当社のシンボルで、病気が治るといわれる撫牛信仰の象徴。5年に一度開かれる本祭りの神幸祭では、本物の黒牛(神牛)が鳳輦(ほうれん)を曳き町内を練り歩く。(※ 鳳輦:古来の天皇の正式な乗り物)

備考:摂社・若宮牛嶋神社。墨田鳳輦を曳き町内を練り歩く区本所にある神社で、牛嶋神社の御旅所。

例祭日:9月15日(本祭りの神幸祭は5年に一度)

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牛嶋神社の由緒

現在は、墨田川沿い、隅田公園の一角に鎮座していますが、元々は向島須崎町にあったのですが、関東大震災で焼失しました。昭和7年に現在の地に移転しています。明治維新の前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していましたが、明治の神仏分離令後は元の社名「牛の御前」を「牛嶋神社」へ改められています。隅田川沿いの旧本所辺りの土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称したと云います。

新編武蔵風土記稿による由緒:

  • 牛御前社
  • 本所及牛嶋の鎮守なり。北本所表町最勝寺持。祭神素盞嗚尊は束帯坐像の画幅なり。王子権現を相殿とす。本地大日は慈覚大師の作縁起あり信しかたきこと多し。其略に、貞観二年慈覚大師当国弘通の時行暮て傍の草庵に入しに、衣冠せし老翁あり云。国土悩乱あらはれ首に牛頭を戴き悪魔降伏の形相を現し国家を守護せんとす。故に我形を写して汝に与へん我ために一宇を造立せよとて去れり。これ当社の神体にて老翁は神素盞嗚尊の権化なり。牛頭を戴て守護し賜はんとの誓にまかせて牛御前と号し、弟子良本を留めてこの像を守らしめ、本地大日の像を作り釈迦の石佛を彫刻してこれを留め、大師は登山せり。良本これより明王院と号し、牛御前を渇仰し、法華千部を読誦して大師の残せる石佛の釈迦を供養佛とす。其後人皇五十七代陽成院の御宇聖和天皇第七の皇子故有て当国に遷され、元慶元年九月十五日当所に於て斃せられしを、良本祟ひ社傍に葬し参らせ其霊を相殿に祀れり。今の王子権現是なり。治承四年源頼朝諸軍を引率し下総国に至る時に、隅田川洪水陸地に漲り渡るへき便なかりしに、千葉介常胤当社に祈誓し船筏を設け大軍恙なく渡りしかば、頼朝感して明る養和元年再ひ社領を寄附せしより、代々国主領主よりも神領を附せらる。天文七年六月廿八日後奈良院牛御前と勅号を賜ひ次第に氏子繁栄せり。北条家よりも神領免除の文書及神寶を寄す其目後に出す。又建長年中浅草川より牛鬼の如き異形のもの飛出し、嶼中を走せめくり当社に飛入忽然として行方を知らず。時に社壇に一つの玉を落せり。今社寶牛玉是なりと記したれど、旧きことなれば造ならさること多し。
  • 神寶并神領免状古碑一基
  • 長さ三尺三寸幅一尺五寸青石なり。前面に釈迦の立像背面に奉造立釈迦像一体貞観十七未天三月日、法華千部明王院の廿七字を刻す縁起載る所の供養佛也しと云。
  • 牛玉一顆由来は本社の條に見ゆ。太刀一振
  • 一尺八寸許箱に納む。蓋の面に千葉常胤神息と記し、裏に宝暦二壬申年十二月吉日中田五郎左衛門冶興と記し名の下花押在。
  • 指物一
  • 長三尺八分余幅一尺一寸六分箱に入れ蓋の裏書に
  • 此指物自先祖持来候、然而牛御前宮者、先祖千葉家被致再興候依為御宮、則指物奉献納候、末代迄御傳置可被下候、仍寄進之状如件、
  • 慶長十八丑歳九月十五日、国分宗兵衛正勝敬白牛御前宮御別当最勝寺右指物は本所表町名主中田五郎左衛門の所持なせしを、己か支配に国分氏宗兵衛といへるものあり。彼は千葉家の支族なりとて譲り与しを、後宗兵衛当社に納めしと云。
  • 古文書二通
  • 須崎堤外畠之事、合百八十よ所、自前々茂神領のよし聞届申候。為其一札進候仍如件。
  • 永禄十一年戊辰霜月十五日、景秀花押
  • 最勝寺御同宿中
  • 石橋山合戦に付分捕之面々書翰之通備見山畢、景末花押
  • 此文書の伝来をしらず。景末は何人なりや。石橋山合戦といへは梶原景季なるへけれど文字も違へり。

東京都神社名鑑による由緒:

  • 貞観二年(八六〇)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を勧請して創祀し、のち天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨があわせてお祀りし「王子権現」と称した。治承四年(一一八〇)九月源頼朝が大軍をひきいて下総国から武蔵国に渡ろうとした時、豪雨による洪水のために渡ることができなかった。その時武将千葉介平常胤祈厳し、神明の加護によって全員無事に渡ることができたので、頼朝は翌養和元年(一一八一)に社殿を造営し、多くの神領を寄進した。
  • 天文七年(一五三八)に後奈良院より「牛御前社」という勅号を賜わったといわれる。江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬があつく、将軍家光は本所石原に社地を賜わりお旅所とした。明治初年以後牛嶋神社と称し、本所総鎮守として崇敬されている。大正十二年関東大震災で社殿等が炎上し、次いで帝都復興計画で隅田公園ができたため、向島一丁目(旧水戸邸跡)に移転、昭和七年現在の社殿が完成した。

牛嶋神社の基本情報

  • 名称:牛嶋神社
  • 所在地:東京都墨田区向島1ー4ー5
  • アクセス:【電車】都営浅草線「本所吾妻橋駅」より徒歩10分。東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」より徒歩3分。
  • 駐車場:なし
  • 主催ホームページ(東京都神社庁):コチラ より

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