柳森神社 東京のパワースポット-旧柳町一帯の鎮守-イパネマおやじ

柳森神社社殿

柳森神社(やなぎもりじんじゃ)は、東京都千代田区神田須田町に鎮座する神社です。日本最大の電気街がある秋葉原から徒歩10分程の場所に鎮座しています。

に多数植えられた柳を現在地へ移植した。これを機に、当社も柳とともに現在地へ遷座しています。当社のある神田須田町は、江戸時代より前に須田村と呼ばれていた神田川周辺の村落に由来しています。万治2年(1659)に、仙台藩により神田川の掘割工事が行われ、外郭の堤を築いて当社の周辺

明治後期になると路面電車(のちの市電、都電)が開通、「万世橋駅」も開業し、東京有数の繁華街となりました。現在の神田須田町二丁目は、大正12年(1923年)の関東大震災の後、東京の町が再編された一環として、元柳原町、柳町、小柳町、平永町などの町が合併され、1933年に生まれました。

神田駅

神田川からの風景

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柳森神社

神田川万世橋から社殿を望む:

柳森神社鳥居

柳森神社鳥居:柳原通りに面している

境内の風景

境内の風景:鳥居より低い場所に境内のある「下り宮」

手水舎

手水舎:

社殿

社殿の前から望む:

福寿神

境内社:福寿神は「おたぬき様」とも呼ばれる

金比羅宮

境内社:金比羅宮

神楽殿

神楽殿:昭和61年に鉄筋コンクリート造りで再建

社殿

社殿と神楽殿:

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 江戸三森の一社

柳森神社の御祭神

倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)

柳森神社のご利益

火防鎮守

開運

出世

商売繁盛

境内社 または遺跡(建造物など)

秋葉大神、金比羅宮、福寿神、明徳稲荷

備考:烏森神社、椙森神社と共に「江戸三森」の一つ

例大祭:5月15日前後の土・日曜日

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柳森神社の由緒

  • 室町時代の長禄2年(1458)、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、現在の神田須田町一帯に柳の木を植えて森の鎮守として祀ったのが始まりと云います。その後、江戸時代の万治2年(1659)に、神田川掘割の際に現在地へ遷座されている。
  •  柳森神社は別名を柳森稲荷神社と称されることもあります。その由来により、土堤(どて)の稲荷、方除(ほうよけ)いなり、火防(ひぶせ)のいなりなどの俗称がありました。土堤のいなりとは、神社が『江戸名所図会』をはじめ広重の絵などに描かれ、歌にも詠まれる、江戸の景勝地であった柳原堤に位置していたことに由来していると云います。方除いなりは、江戸城の鬼門除の社であったことに、火防いなりは金亀山稲荷つまり城中火防の社であったことに由来しています。

千代田区文化財サイトの掲示による由緒:

  • 柳森神社は、1458年(長禄2年)、太田道灌が江戸城の鬼門除(きもんよけ)として、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社です。
     通称おたぬきさんと呼ばれる柳森神社は、江戸幕府5代将軍の徳川綱吉の母、桂昌院(けいしょういん)が信仰した福壽神(ふくじゅしん)が祀られ、「たぬき=他に抜きんでる」ということから、立身出世や勝負事・金運向上・商売繁盛・良縁などに御利益があるとして信仰を集めてきました。
  •  別名は柳森稲荷神社ともいいます。そのため、土堤(どて)の稲荷、方除(ほうよけ)いなり、火防(ひぶせ)のいなりなどの俗称がありました。土堤のいなりとは、神社が『江戸名所図会』をはじめ広重の絵などに描かれ、歌にも詠まれる景勝地であった柳原堤に位置していたことに由来します。方除いなりは、江戸城の鬼門除の社であったことに、火防いなりは金亀山稲荷つまり城中火防の社であったことに由来します。

柳森神社の基本情報

  • 名称:柳森神社
  • 所在地:東京都千代田区神田須田町2ー25ー1
  • アクセス:【電車】JR線「秋葉原駅」徒歩5分。東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」徒歩5分。つくばエクスプレス線「秋葉原駅」徒歩6分。都営新宿線「岩本町駅」徒歩5分。
  • 駐車場:なし
  • 主催ホームページ(東京都神社庁):コチラ より

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