多摩川浅間神社 東京のパワースポット-富士山の見える多摩川沿いの神社-イパネマおやじ
- 多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は、東京都大田区田園調布にある神社です。東横線に乗ると、多摩川を渡る際に、東京都側の多摩川沿いの道路に面して神社の看板を見ることができ、建物の上は小高い丘になっています。この場所より上流を走る東急田園都市線の周辺とは、少し雰囲気が異なり緑が色濃く残っている街並みがあります。
- 多摩川浅間神社が鎮座する敷地内には、5世紀頃に造られたとみられる前方後円古墳が発見され、浅間神社古墳と呼ばれています。都内でも有数の高級住宅街といわれる田園調布にあり、20数年前までは前方の多摩川河川敷に読売巨人軍の練習グラウンドがあり、練習する巨人軍の選手や見物に訪れるファンで賑わっていました。
多摩川沿いの高台にに鎮座している:晴れた日には富士山を眺望できる
一般道の傍らに建つ店舗の上に見えるのが神社の境内:
二の鳥居:階段の先には多数の溶岩が置かれ、富士塚を模した造りになっている
手水舎:多摩川の川向こうの川崎が一望できる
水晶の載った台柱:方角と干支の書かれた台座の上にのっている
多摩川浅間神社社殿:
月替わりのカラフルな御朱印が人気
多摩川浅間神社の御祭神
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと):日本神話で、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に求婚された山の神の娘。
多摩川浅間神社のご利益
火難除け
安産・子授け
境内社:小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社
例祭日:6月第1土・日曜
多摩川浅間神社の由緒
- 御祭神は、日本神話の女神である木花咲耶姫命です。山嶽を守る神様 大山祇神の姫で、天照大神のも語である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻です。
- 創建は、鎌倉時代の初期といわれています。源頼朝が戦のため出陣する際、夫の身を案じた妻の北条政子が、後を追って多摩川まできたが、草鞋の傷が痛むので、この地で治療をするために逗留した。その折、この地にあった亀甲山に登ったところ、富士山が鮮やかに見えたといいます。富士山のある富士吉田には、政子の守り本尊である浅間神社があったので、その方面に向かって手を合わせ夫の武運長久を願い、持ち歩いていた正観世音像をこの地に建てたといいます。以来村人たちは富士浅間大菩薩と呼んで祀ったのが、多摩川浅間神社の始まりとされています。
- 当社の掲示による由緒:
- 当浅間神社は、今から八百年前の創建と伝えられます。鎌倉時代の文治年間(1185~90)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。 夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。 逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
- 承応元年(1652)5月、浅間神社表坂の土どめ工事をしていたとき、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。以来、ご祭礼は6月に行っております。
- 新編武蔵風土記稿による由緒:
- (下沼部村)浅間社
- 除地、小名堀廻しの西の方二十四五歩ばかりの山上にあり。勧請の年暦等も詳ならず。祭礼は六月朔日なり。東光院のもちなりと云。石龕。山の上中央の所にあり。1尺5寸四方、高さ3尺東向なり。本尊正観音は銅佛立像にて長8寸許、相傳此像は古佛にして此所へ垂跡ありし年代も詳ならず。一年洪水ありし時風雨ことに烈しくして社内も破壊せしかば、尊像の所在を失ふ。これに因て土人新に前立の木像を作りて安置せり。長8寸許、其後「今より72年前を云」此所の大木の松樹かれしかば、別当より百姓等に課せて其根をほらしむるに、その邊より一体の尊像をほり出す。此時鍬にてかきしとて右のかひなを失ふ。されどそのままにありしかば、文化6年土人相はかりて冶工に命じて右の手を修理して是を安置す。その尊像及び前立の木佛共に今は別当寺におさめり。
- 華表。山の中腹にあり。幅7尺巽の方に向ふ。(新編武蔵風土記稿より)
多摩川浅間神社の基本情報
- 名称:多摩川浅間神社
- 社号:浅間神社
- 所在地:東京都大田区田園調布1ー55ー12
- アクセス:【電車】東急東横線・東急多摩川線「多摩川駅」より徒歩3分。
- 駐車場:有り
- 主催ホームページ:コチラ より