磐井神社 東京のパワースポット-東海七福神の弁財天-イパネマおやじ
- 磐井神社(いわいじんじゃ)は、東京都大田区大森北にある神社です。磐井神社の鎮座する大森は、大田区の北東部に位置しています。駅の近くは東京湾が広がり、湾岸エリアになっていて、かっては海苔の養殖が行われたり、現在は京浜工業地帯が連なっています。北品川あたりから第一京浜国道と別れて、旧東海道も現存して道路沿いには商店街があります。
- 一方、アメリカの動物学者エドワード・シルベスター・モースによって発見された「大森貝塚」で有名な町でもあります。発掘された日本考古学上最初の遺跡。縄文時代後期から晩期を中心とする集落を伴う遺物が出土し、「日本考古学発祥の地」とも呼ばれています。
近くにある大森海岸駅と平和の森公園:
東海七福神巡り:1月1日~15日まで行われる
東海七福神弁財天:
磐井神社社殿:
延喜式式内社
磐井神社の御祭神
応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
姫大神
大己貴命
磐井神社のご利益
成功勝利
家運繁盛
悪病災難除け
境内社 または遺跡(建造物など)
- 笠島弁天社:東海七福神の一社で弁財天が祀られている。
- 海豊稲荷神社:五穀豊穣・商売繁盛のご利益があるといわれる。
パワースポット
狛犬こまちゃん:子宝の象徴として人気。
備考:東海七福神の弁財天さま
例祭日:8月第1金・土・日曜
磐井神社の由緒
延喜式内社の小社とされる古社で、武蔵国における総社八幡宮といわれ武蔵八幡聰社を称する。かっては鈴ヶ森八幡宮とも呼ばれ崇敬をあつめたという。現在は、境内社の笠島弁天社が東海七福神の弁財天を担っている。境内の狛犬は子宝の象徴として親しまれ、最近はキャラクター「こまちゃん」も人気が高まっています。併せて、月替わりで配色が変わる御朱印も授与されるようになり参拝者も増えている。
- 当社の掲示による由緒:
- 式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社です。『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されています。別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されています。 万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、万葉の時代の神社周成の地名であり、笠島弁財天にその名ごりを見ることが出来ます。 また、当社の境内に佇む一対の狛犬には、都内でも珍しく子獅子が合計で6匹もおり、子宝の早朝として親しまれています。
- 新編武蔵風土記稿による由緒:
- (不入斗村)鈴森八幡社→磐井神社
- 除地六段五畝七歩、小名すなはち鈴森にあり、古の磐井神社是なり、社傳を閲するに人皇三十一代敏達天皇二年八月鎮座あり、祭神正面は應神天皇、左は大己貴神仲哀天皇、右は神功皇后姫大神なり、それよりはるかに星霜をへてのち、貞観元年八幡大神宇佐宮より山城國石清水に鎮座のとき六十六州ことに總社八幡宮を定めたまひしに當國にては此神社を總社とはきはめ給ひき、これは此年の九月風雨の災なからんことを、諸國の神社に命たまひしときも、此社に奉幣使をぞたてられたりき、しかして後萬民有年の驗を得たりとて、やがて官社に列せられけると【三代實録】に載たり、その條によるに、其頃は已に從五位下の神社たりしと見ゆ、されどその神位を賜はりしはいつの頃にかありけん、しるべからず、されば其頃より神田ありしことは論をまたざること、村名の條下にも出せり、或古記に圭田三十六束と云々、これ當所神田より収むる所の數なるか、この後數百年の間のことは、戦争にて兵火の災など蒙りしかば、記録をもことごとく失ひ、すべて傳はらず、小田原北條家分國の頃にや、内田周防とかいひし人神主たりと云傳ふ、御當代に至り検地ありて門前の地を御寄附あり、その頃は門前の地もひろかりしならん、元禄年中神主森田勝明が記せし社前變革の圖を閲するに、元龜天正のころまでは社地の廣さ、今の海道より百五十間餘も東の方に及びて、海厓に第三の鳥居あり、これより六十間餘西の方に第二の鳥居あり、又八十間餘を隔てゝ第一の鳥居ありしと、これらによえば今海中となりし處も、餘程廣平の地ありて、當社に附せられしならん、その後次第に海中へかけ入て、大にせばまれり、しかのみならず文禄慶長の頃は、昔の海道はこと々々く崩れ入て、又海中となりしにより、ふるき海道は往還の廣さにならひ、西へうつされたりしかど、猶年をおひてかけ入しかば、正保元年よりは又海道を西へうつされたり、それも年をへて又崩れいりしにより、その頃の代官などはからひて、このまゝにては如何になりゆかんもはkりがたしとて、寛文三年今の所へ海道を定められ、海岸へはたかく石垣をきづかれしにより、今に至るまで崩るゝことなし、されどかくのごとくしばしば々々その地を失ひたれば、社地も古へにくらぶれば甚れり、此にいふ海邊は、往古の處とはもとよりことなるべし、その舊蹟は荒井宿村に云ごとし、此所は一變せしよりのことなり、有徳院殿の御代におはせし時、しばゝゝ當所へ御遊獵のところ、當社へも御立寄あり、あるとき社地へわたらせたまひし次、社傳を御尋ありしに、時の神主一巻の縁起をとり出して台覧にそなへけるとぞ、又同じ御時享保十一年に宮社御造營ありしにより、いよゝゝ繁栄に及びしといへり、按に社傳によれば八幡大神の社ありてより後、その社を磐井の神社ともいはひしにや、此事分明ならさるに似たり、是らのことも記録等に明文なければしりがたし、
- 鳥居。海道の西にあり、磐井神社の字を扁す、これは吉田兼隆卿の筆なり、第二第三の鳥居はいまはなし、されど海中に舊基朽殘りたるもの今に存せりといひつといふ。・・・中略。
磐井神社の基本情報
- 名称:磐井神社
- 所在地:東京都大田区大森北2ー20ー8
- アクセス:【電車】JR線「大森駅」より徒歩10分。京浜急行「大森海岸駅」より徒歩3分。
- 駐車場:有り(3台)
- 主催ホームページ:コチラ より