諏方神社 東京のパワースポット-日暮里・谷中の総鎮守-イパネマおやじ

諏方神社拝殿

諏方神社(すわじんじゃ)は、東京都荒川区西日暮里に鎮座する神社です。社号の諏方神社は、長野の総本社諏訪大社の分社であるが、元々諏訪地方では「すわ」という表記は古名であり、2~3種類あったが、平安時代に勅令があり「諏訪」に統一されたと云います。これに伴い、一般的に地名・神社名も「諏方」は使われなくなりました。当社では、所蔵する元禄時代の軸に「諏方大明神」と表記されていることから「諏方神社」として継承されています。

  • 地元の西日暮里の沿革:
  • 「日暮里」の地名は、新しい開拓地や新しい堀を意味する、「新堀(にっぽり)」に由来するといわれます。新堀は、文安5年(1448)の古文書にも記載されている古い地名で、江戸時代には音無川(石神井用水)東部の低地の田園地帯を指したといわれます。
  • 江戸時代には、日暮らしの里とも呼ばれ、高台の寺町で眺めがよい景勝地でした。四季おりおりの自然の風景が楽しめる名所として、江戸っ子が訪れたといいます。
  • 現在は、高台の下をJR山手線や京浜東北線、新幹線の電車が走り、高台からの景色はビルばかりになってしまいましたが、古くからの歴史を今に伝えるスポットも点在しています。

西日暮里の風景

西日暮里の風景

近隣の西日暮里の街

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諏方神社鳥居

諏方神社:表鳥居

手水舎竜神磐

手水舎

諏方神社拝殿

諏方神社拝殿

御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神

御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神

三峰神社

三宝神社

三宝神社

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

JR線路沿い参道側の鳥居

神社 仕切りライン大

 日暮里・谷中の総鎮守

諏方神社の御祭神

建御名方命(たけみなかたのみこと)

諏方神社のご利益

勝利祈願

商売繁盛

安産祈願

健康長寿

交通安全

境内社 または遺跡(建造物など)

末廣稲荷神社、銭降稲荷神社、三宝荒神社、三峯神社

例祭日:例祭は毎年8月(大祭は3年に一度 御神幸祭を開催、本社神輿が町内を渡御)

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諏方神社の由緒

新編武蔵風土記稿による由緒

  • (新堀村)諏訪社
  • 村内及谷中の惣鎮守とす。一寸許なる薄黒き円石を神体とす。社領5石の御朱印は慶安2年附らる。元享年中豊島左衛門尉経信州の諏訪を勧請せる由縁起に載たり。例祭7月26日社邊東の方を諏訪台とし、眺望勝景の地なり。林信充か浄光寺八景詩歌は則此処にての作なり。所謂八景は筑波茂陰、黒髪晴雪、前畦落雁、後岳夜鹿、隅田秋月、利根遠帆、暮荘烟雨、髪祠老松なり。皆望中の景色なり。
  • 末社。山王、稲荷。

東京都神社名鑑による由緒

信濃国諏訪の住人豊島左衛門尉経泰は、諏訪明神を敬い守護神と崇めていたが、治承のころ、源頼朝の幕下に参じ、関東の野に奮戦して勇名をとどろかし、その軍功により豊島の地を賜わる。これも御神徳の賜と経泰江戸に移住するとき一行とともに下行、己が庭内に勧請するが、これを郷土の人びと明神の御神徳と仰ぎ、産土神として奉仕するに至る。とき、元久二年(一二〇六)である。文安(一四四四-九)のころにおよんで、太田道濯当社に祈り、霊験あらたかなるをもって、社領を寄進するなど、信仰大いに寄せられる。寛永十一年(一六三四)日暮里の現在地に山をひらきて御遷座し奉る。慶安二年(一六五〇)には、徳川氏神領として五石の御朱印を寄せ、爾来、徳川氏は厚き誠を寄せられた。当地は、上野より飛鳥山に通じる高台にあって、四季の眺望よく、文人墨客の遊観頻繁にして、諏訪台八景の地に選ばれるなど、江戸景勝の地としても賑わったと云う。

諏方神社の基本情報

  • 名称:諏方神社
  • 所在地:東京都荒川区西日暮里3ー4ー8
  • アクセス:【電車】JR山手線、JR京浜東北線、東京メトロ千代田線、都営日暮里・舎人ライナー「西日暮里駅」徒歩3分。
  • 駐車場:なし(近隣の有料駐車場を利用)
  • 主催ホームページ:コチラ より

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