上鶴間鹿島神社 神奈川のパワースポット-鹿島神宮の総本社と同じ武甕槌命を祀る-イパネマおやじ

社殿

上鶴間鹿島神社(かみつるまかしまじんじゃ)は、神奈川県相模原市南区上鶴間に鎮座する神社です。年末に参拝したので、氏子の方たちが正月用の飾り付けの最中でした。

上鶴間鹿島神社は、多くの商業施設や店舗が立ち並び、賑わいをみせる町田駅北口エリアの反対側、南口エリアに鎮座しています。南口前の広大な空き地は建設工事の真っ最中で、大規模な商業施設は家電量販店が一つある程度で閑静な住宅街です。北口の喧騒が嘘のような静けさがあります。

町田駅

最寄りの駅は町田駅:町で駅近くの繁華街の風景

町田の繁華街

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鹿島神社

一の鳥居:細長い参道の彼方に社殿が見える

鹿島神社二の鳥居

二の鳥居:一の鳥居からの参道の途中で一般道路が交差している

手水舎

手水舎:新年を迎える飾り付けが完了している

絵馬掛所

絵馬掛所:

ご由緒の掲示板

御由緒の掲示板:

境内から社殿を望む

境内から社殿(拝殿・本殿)を見上げる:階段を上ると社殿に到着

拝殿にはしめ縄

拝殿には新年のしめ縄が飾られていた:

宝蔵庫

宝蔵庫:見ごたえのある彫刻が施されている

社務所

社務所:

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 鹿島神宮の総本社と同じ武甕槌命を祀る

上鶴間鹿島神社の御祭神

武甕槌神(たけみかづちのみこと)

上鶴間鹿島神社のご利益

武道・芸能上達:

安産:

病気平癒:

国家鎮護:

厄除け・開運:

境内社 または遺跡(建造物など)

大自在天満宮:当地に鹿島神社が遷座される前から鎮座していたという。学業成就や試験合格の御利益。

パワースポット

夫婦椿:縁結びのパワースポット。現在は2代目、初代は幹の腐食が進み伐採された。

例祭日:9月第一日曜日

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上鶴間鹿島神社の由緒

上鶴間鹿島神社の創建年代は不詳だが、建久年間(1190~1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(現・浅間神社)を創建した頃に創建されたと云います。創建当時は鹿島大明神と称し、境川近くにあったが、享和元年(1801)現在の地に遷座したと云います。昭和8年には指定村社に列格しています。

当社の掲示による由緒:

  • 鹿島神社の御祭神は、武甕槌神(タケミカツチノミコト)で、この神は関東を中心に広がっている鹿島神社の総本・鹿島神宮(茨城県)の祭神として知られている。当鹿島神社の創建も、おそらく建久年間(1190~1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃、これに因んで村人が相前後して、関東・東北地方を開拓され、そして農耕と深く関係する武甕槌神を祀る鹿島神宮の御分霊を各々の村に勧進請した神社の一つであろうと患われる。
  • 新編相模風土記によると町田森野と鵜野森(大正十年 日枝神社に合祀)と谷口村下森の、約三百米離れた所に格々鹿島神社があったのて、土地の人々は三鹿島と呼んでいたという。当時谷口村に居住していた、澁谷越後守義重が今から四百十六年前の文禄三年(1594)に谷口村総鎮守鹿島大明神より分霊を我が屋敷内に移し奉り守護神とした、とあることからその前から当鹿島神社が村の鎮守様として親しまれていたのは明らかである。
  • 正徳元年(1711)に社殿を再建したが場所が谷口村の北辺の高座川(今の境川)端の下森にあり何かと参詣に不便であった為、享和元年(1801)八月、現在地に遷宮した。それから四年後の文化二年(1805)に下森の遷宮跡地は石宮を建設し、鎮守古宮と称した。現在は同地の区画整理により石祠を上鶴間本町二丁目十一番の地に遷し奉った。
  • 文政二年(1819)十月に欅材建造の中宮が完成し、天保八年(1837)御神体奉安、天保十三年欅材の春日鳥居再建、弘化四年(1847)現存している石灯篭一対も供えられた。安政六年(1859)には現在宝蔵殿に安置されている先代の神社神輿が新調され、嘉永六年(1854)には村内の木材を利用して大幟枠竿を一対新調したという。
  • それまで鹿島神牡の行事の全ては青柳寺の歴代住職が斎行し、神社の名称も鹿島台明神または鹿島大神宮などと称せられたが、明治元年(1868)三月、神仏分離令が発せられて明治四年以降は無格社 鹿島神社と称す。
  • 大正九年(1920)には宝蔵殿を新築したが大正十二年(1923)九月の関東大震災により草葺屋根社殿が大破した。現在の社殿は大正十五年(1926)四月に上棟祭を行い、昭和二年(1927)に完成し、記念碑を建立した。さらに昭和八年(1933)社殿の亜鉛板葺き屋根を鋼板葺き屋根に改造している。この年、神饌幣串料指定村社 鹿島神社と称号が昇格した。そして昭和二十八年(1953)に宗教法人鹿島神社として現在に至っている。
  • 以降神社境内の整備充実につとめ、昭和四十三年(1968)には明治維新百年を記念して社殿、宝蔵殿および社務所(旧の整備や周囲全域にわたり花崗石玉垣と石灯籠の新設を行い、翌昭和四十四年(1969)記念事業完成式典を大々的に挙行した。
  • さらに神社・境内の整備充実は進み、昭和五十年(1975)九月に例大祭を記念して手水舎を新設、平成元年(1989)には神社神輿を新調した。最近でも地元の絶大な協力を得てますます発展を続けており、平成十五年(2003)には念願の本格的な社務所が落成し、平成十八年(2006)には第二鳥居の建て替えも行われている。現在も崇敬者の数非常に多く尊崇日々に厚い。

さがみはら風土記稿による由緒:

  • 上鶴間谷口地区の鹿島神社はJR横浜線町田駅にほど近いところにあります。古くからの谷口集落を守るように神社の森が市街地の喧燥をさえぎり、お年寄りに散歩の場を提供しています。すぐ隣に接しているのは方運山青柳寺で、両者は歴史的にも共に深い関係で結ばれています。
  • この鹿島神社がいつ創建されたのかは諸説様々あり、よくわかっていません。ただ、享和元年(1801)の「鎮守鹿島明神社遷座願」という文書が残されており、これによると下森という場所に村の鎮守鹿島明神社があるが村はずれのために参詣しにくく、また管理上の問題もあるため青柳寺境内の天神山の脇に遷座してもよろしいか、というような願文を青柳寺に出していたことがわかります。
  • つまり、この時にはすでに下森に鹿島明神社が、そして現在鹿島神社がある場所には天神社があったことがわかります。この天神社は現在境内に「天満宮」として祀られており、下森の鹿島明神社があった場所は「もとかしま(元鹿島)」と呼ばれ、その記念碑と石岡建てられていました。しかし、近年区画整理事業が行われたため、共に従前地に近い川沿いの場所に移築されています。

上鶴間鹿島神社の基本情報

  • 名称:上鶴間鹿島神社 / 鹿島神社(正式社号)
  • 所在地:神奈川県相模原市南区上鶴間本町3ー7ー11
  • アクセス:【電車】JR横浜線「町田駅」徒歩8分。小田急線「町田駅」徒歩12分。
  • 駐車場:有り
  • 主催ホームページ:コチラ より

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