福徳神社 東京のパワースポット-都心の一等地に鎮座-イパネマおやじ

社殿
  • 福徳神社(別名は伊吹稲荷)は、東京都中央区日本橋室町にある神社です。正式名は「福徳神社」ですが、徳川二代将軍秀忠が参詣した際に「芽吹稲荷」の別名を賜ったため、「芽吹稲荷」とも呼ばれるようになりました。宝くじ当選の、ご利益でも有名です。
  • 東京メトロ三越前の近くに位置して、日本橋室町東地区再開発に伴い、コレド室町に隣接する一角に鎮座しています。同じ福徳の森の敷地には、薬祖神社も遷座されています。

コレド室町

近くにあるコレド室町や日本橋の街並み:

日本橋の風景

パワースポット小

福徳神社

福徳神社

芽吹稲荷

福徳神社鳥居

パワースポット大

 旧福徳村の鎮守

福徳神社の御祭神

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

相殿

天穂日命、大己貴命、少名彦名命、事代主命、三穂津媛命

江戸時代前後に合祀:

太田道灌、弁財天、徳川家康

福徳神社のご利益

宝くじ当選:

健康守護:

家内安全:

例祭日:5月に行われるが、宮神輿の渡御は隔年で10月に開催。

パワースポット大

福徳神社の由緒

創建の年代は不詳だが、貞観年間(859~877)には既に鎮座していたとされ、創建はそれ以前とされています。かって当地は、武蔵国豊島郡「福徳村」という村落で江戸開府前は森林に囲まれたのどかな村落だったと云う。当社の鎮守の杜を、稲荷の森といい社地や社殿も大変に広大であったと云います。稲荷社こと倉稲魂命を祀り、福徳村の鎮守のお稲荷様として崇敬を集めたと云います。

富くじの歴史:

  • 福徳神社は、江戸時代に幕府より富くじ興行の「御免富」を勧化されています。富くじは、無尽や頼母子講が変形し発達したものです。私的な富くじ興行は、早くから行われていたようですが、江戸幕府は元禄年間に私的な富くじ興行を禁止しています。
  • 一方、幕府は私的な富くじ興行は禁止する反面、享保年間には、由緒ある寺社に限り、堂舎修復費捻出のための富くじ興行を公認するようになり、これを「御免富」と呼んだ。中でも、谷中感応寺、目黒不動、湯島天神の「江戸三富」は人気が高く、早朝より群衆が押し寄せたようです。その他にも、護国寺、椙森稲荷の他に8社寺がありました。特に、当社の”福徳”は縁起がよいとされ、社号の”福徳”に加えて、時の将軍秀忠より江戸城から合祀された弁財天が福財神として庶民の注目を集め、大いに人気を集めたということです。
  • 近代になり、一帯の開発が進むにつれ境内の規模も縮小し、明治以降になって幾度も遷座を繰り返し、現在の再興に至るまでは、ビルの屋上に小祠が置かれるという、小規模の祠として維持されてきました。日本橋室町東地区の再開発により、三井不動産を中心に再興が行われました。平成26年に社殿が完成「コレド室町」と共に、近代的な景観を誇る神社として地域の中心となり人々の崇敬を集めています。

当社の掲示による由緒:

  • 当社の創祀された時は明らかではありませんが、古くからの言い伝えによると貞観年間(清和天皇・859~876年)には既に鎮座していたと云われています。鎮座地の日本橋室町二丁目付近は、往古は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)と伝えられ、農漁家の点在する片田舎だったそうです。古くは稲荷の祠と呼ばれていましたが、後にその村名をとって「福徳稲荷」と呼ばれました。
  • また土地の人は神社の森を「稲荷の森」、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と呼び親しんでいました。後の明暦3年(1657)正月8日の大地震により、一里塚は崩壊してしまいました。当時の人々は、この石碑の破片を集め保存したと考えられています。
  •  江戸時代の社家であった森村氏の言い伝えによると、源義家公、太田道灌公など武将の崇敬も厚く、後に道灌公は相殿に合祀されました。徳川家康公は天正18年(1590)8月に初めて当社に参詣され、その後参詣は数度に及んだといいます。後に、本田忠勝が関ヶ原の戦いの功績により家康公より賜った紙入れを当社に奉納した際、これを東照宮の神霊として祀るように命じ、以来相殿に奉斎されています。
  • さらに、二代将軍秀忠公は慶長19年(1614)正月28日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛されました。この時、当社古例の椚(くぬぎ)の皮付き鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、当社の別名を「芽吹稲荷」と名付けられました。元和5年(1619)2月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納され、さらに社地を333坪余と定められました。
  • 当初は近隣一帯が田園であった福徳の地も江戸に幕府が開かれてより商家が軒を並べる繁華街となり、この地も伊勢町・瀬戸物町の二つの町名と変り、その付近を「浮世小路(うきよしょうじ)」と称されるようになりました。その二百数十年の間に数度にわたる火災や境内地一部の上地などにより維新後に至っては40余坪ほどになってしまいました。とは言え、町内の崇敬は厚く、天保の改革により存続の危機に見舞われた際も、一致して再興に力を尽くしました。
  • 明治7年(1847)8月9日、政府により当地の由緒・信仰を認められ「村社」の社格を定められ、社号が福徳稲荷から福徳神社へと変わりました。以後、瀬戸物町を氏子とし、室町・本町・伊勢町・安針町その他に崇敬者を擁し、祭典・営繕維持に尽力しました。関東大震災後の区画整理により日本橋区室町2丁目4番地に遷座、戦災に遭いながらも、昭和48(1973)年1月に中央区日本橋室町2丁目4番14号に遷座し平成を迎えました。

福徳神社の基本情報

  • 名称:福徳神社(芽吹稲荷)
  • 所在地:東京都中央区日本橋室町2ー4ー14
  • アクセス:【電車】JR総武快速線「新日本橋駅」、東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」より徒歩1分。
  • 駐車場:なし
  • 主催ホームページ:コチラ より

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