四谷須賀神社 東京のパワースポット-四谷の総鎮守-イパネマおやじ
- 四谷須賀神社(よつやすがじんじゃ)は、東京都新宿区須賀町に鎮座する神社です。東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」、「四谷駅」から徒歩で10分程の距離にある神社です。閑静な住宅街の中にあり、小高い丘の頂上部に鎮座しています。
- また、当社参道の男坂石段が大ヒットしたアニメ「君の名は。」の舞台となったことで、一躍有名になり、聖地巡礼のファンや、アニメ制作関係の参拝者がヒット祈願に訪れる神社でもあります。
最寄り駅の東京メトロ丸ノ内線 四谷三丁目駅・四谷駅:
最寄りにある迎賓館赤坂離宮:
四谷須賀神社境内への入口:
参道の男坂:大ヒットした映画「君の名は。」の舞台になった階段
四谷須賀神社鳥居:珍しい朱色の鳥居
社殿前の風景:
境内社:天白稲荷神社
境内社:祖霊社。氏子崇敬者の神霊を祀っている
四谷の総鎮守
四谷須賀神社の御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)
相殿
櫛稲田姫命、右御子五男神(天穂日命、天津彦根命、天忍穂耳命、熊野樟日命、活津彦根命)、左御子三女神(多紀理姫命、市杵島姫命、多岐都姫命)
四谷須賀神社のご利益
縁結び:
五穀豊穣:
厄除け:
商売繁盛:
境内社 または遺跡(建造物など)
大鳥神社、天白稲荷神社(大国主命)、祖霊社
パワースポット
当社は、新海誠監督作品「君の名は。」の撮影現場として一躍有名になりました。同作品が記録的大ヒットとなり、聖地巡礼で訪れるファンや、ヒットを祈願するアニメ制作関係の参拝者が訪れる神社です。
備考:三十六歌仙絵:天保七年(1836)に描かれた絵巻で、柿本人麻呂、大伴家持、小野小町など、36人の優れた和歌の詠み手を指し、これらの歌人たちの肖像とその詠歌を絵巻物に描いたもの。
例大祭:6月上旬 / 11月酉の日(四谷酉の市)
四谷須賀神社の由緒
当社の掲示による由緒:
今の須賀神社は元稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、厩社格は撤廃されました。
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。 今日の復興を見ることが出来ました。
今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。今日の復興を見ることが出来ました。
御内陣宮殿 文政二已卯年四月四谷伝馬町二丁目住人 大工 吉見氏
四谷須賀神社の基本情報
- 名称:四谷須賀神社
- 所在地:東京都新宿区須賀町5
- アクセス:【電車】東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」・「四谷駅」徒歩10分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より