穴八幡宮 東京のパワースポット-一陽来復御守で有名な神社-イパネマおやじ
穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田にある神社です。神社の名物ともいえるのが「一陽来復御守」というお札とお守りで、金運アップや商売繁盛のご利益があると云われています。「一陽来復御守」は元禄元年(1688)から現在に至るまで穴八幡宮で領布が続くお守りですが、領布期間は冬至から翌年の節分までと決まっています。しかも、お札を祀る機会は年に3回のみで、お祀りする方角も年ごとに厳格に定められています。
鳥居から階段を上ると隋神門:
隋神門:
手水舎と布袋尊舎:手水舎には布袋様がいらっしゃる
境内の参道:
八幡太郎義家が創建した神社
穴八幡宮の御祭神
應神天皇(品陀和気命):
仲哀天皇(帯中日子命):
神功皇后(息長帯比賣命):
穴八幡宮のご利益
金運:
商売繁盛:
境内社 または遺跡(建造物など)
若宮八幡宮、東照宮、稲荷社、氷室神社、春日明神・子安明神・天満宮・厳島神社
穴八幡宮の由緒
- 穴八幡宮は、赤城神社と共に牛込の総鎮守です。昔は高田馬場の守護神とされ、高田八幡宮と呼ばれた時代もありました。江戸時代に南側の山裾を切り開いたところ横穴を発見、金銅の阿弥陀如来像が出現した、瑞祥のあった神穴があることから「穴八幡宮」と称されるようになったと云いいます。
- 社伝によれば:
- 康平五年(1062)、奥州の乱を鎮圧した源義家が凱旋の折、日本武尊命の先躍にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡様を勧請して、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以来、慶長・元和(1569~1623)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を置いて、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
- 寛永十八年(1641)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。
- 新編武蔵風土記稿による由緒:
- 穴八幡宮と号す、正八幡なり。神功皇后仲哀天皇を合祀す、共に大橋龍慶霊端を得て、牛込榎町の古榎樹を以て彫刻し寛永十九年四月八日多磨郡中野宝仙寺住僧秀雄開眼せる由裏銘あり、社傳に云此所おり八幡の小祠及ひ阿弥陀堂あり、年を経て荒廃し、神木の老松一樹残りしか、寛永十三年(1636)御持弓頭松平五新左衛門直次に属せし同心の輩(同心居宅は早稲田にあり)、彼神木近き所に的場を築きしに、其松に鳩三羽つつ宿りて神霊影向の端ありければ、相謀りて同十八年石清水八幡宮を勧請し良昌をして別当たらしむ、依て草庵を造営せんとて山麓を穿ちけるに、一つの穴あり人々怪しみ燈を取て内を伺えは、銅佛の阿弥陀長三寸許なるを得たり、是八幡の本地なれはとて、則神殿に安置し、今に秘佛とすと、「寛永記」「江戸雀」等に載る所も社傳と大同小異あり・・・中略。
穴八幡宮の基本情報
- 名称:穴八幡宮
- 所在地:東京都新宿区西早稲田2ー1ー11
- アクセス:【電車】東京メトロ東西線「早稲田駅」より徒歩5分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より