阿佐ヶ谷神明宮 東京のパワースポット-能楽堂も備わる風雅な境内-イパネマおやじ
- 阿佐ヶ谷神明宮は、東京都杉並区阿佐谷北にある神社です。杉並一帯は、明治維新後に鉄道が開通したのを機に、発展してきた街です。鎌倉時代や平安時代の中世には、極端という程に歴史的な出来事が少ない地域です。そのため、阿佐谷地域も江戸時代以前に、戦国の合戦や城などがあったなどの目立った歴史の少ない町です。
- 大正12年に阿佐ヶ谷駅が開通してから、青梅街道や早稲田通りに乗合自動車が発展し西武鉄道(後の都電杉並線)の沿線沿いに人々が住み着くようになり、町の発展が進んでいきました。
近くにある荻窪の街並みや太田黒公園:
大鳥居:
神門(瑞祥門):
本堂:御正殿・東御殿・西御殿からなる。中央の本堂前には第62回式年遷宮により徹下された鳥居が建つ
能楽殿:
御垣内(みかきうち):拝殿の先に設けられている。通常の参拝では入ることのできない神様の近くで参拝できる。御垣内参拝という
旧阿佐ヶ谷村の鎮守
阿佐ヶ谷神明宮の御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
阿佐ヶ谷神明宮のご利益
厄除・八難除
境内社 または遺跡(建造物など)
本宮:
猿田彦神社:道ひらきの神様。
天神社(北野神社):菅原道真公が祀られている。
パワースポット
御神木:夫婦けやき。別々だった2本の若木が長い年月をかけ一つに結ばれている。夫婦円満のご利益があるといわれている。
備考:旧阿佐谷村鎮守。
例祭日:9月16日
阿佐ヶ谷神明宮の由緒
- 創建の年代は不祥ですが、日本武尊が東征の折、阿佐ヶ谷の地にて休憩をし、後に日本武尊の武功を慕った村人が、社を設け神明宮を勧請したのが始まりと云います。
- 建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部が伊勢神宮に参拝した折、神の霊示を受け宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられています。その後、江戸時代中期の頃祇海という僧が、神告により社を現在の地に遷宮して、世尊院が別当職を務めたと云います。
- 当社の掲示による由緒:
- 皇室の御祖神であり、太陽神でもある天照大御神(アマテラスオオミカミ) をお祀りしています。天照大御神は、我が国で最も貴く、国家の最高神とされています。 御神名はいくつかの表記法があり、『古事記』においては天照大御神、『日本書紀』においては天照大神と表記されております。一般には天照大御神(アマテラスオオミカミ)の表記が最も親しまれています。 国土の創造神であるイザナギが、黄泉の国に下ったイザナミと別れ、黄泉の穢れを洗い流した際に、左目を洗ったときに誕生したとされています。このとき右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子と呼ばれる。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示し、最高神となりました。
- 寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図会』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれております。 建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っております。 江戸時代から庶民の信仰が篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠中仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政十一年(1828年)の銅製の三本御幣が奉納されています。
- 新編武蔵風土記稿による由緒:
- (阿佐ヶ谷村)神明社
- 除地、百五十坪、小名本村にあり、村内の鎮守なり。本社は二間に一間半、拝殿三間に二間南向、長さ二尺余、囲二尺許の丸き石を神体とす。前に鳥居を立。鎮座の年代詳ならず。
阿佐ヶ谷神明宮の基本情報<h4>—</h4>
- 名称:阿佐ヶ谷神明宮
- 社号:神明宮
- 所在地:東京都杉並区阿佐谷北1ー25ー5
- アクセス:【電車】JR中央線「阿佐ヶ谷駅」より徒歩2分。
- 駐車場:有り
- 主催ホームページ:コチラ より