布多天神社 東京のパワースポット-調布の総鎮守-イパネマおやじ
- 布多天神社(ふだてんじんしゃ)は、東京都調布市調布ヶ丘に鎮座する神社です。延喜式内社の小社とされる歴史ある社で、旧社格は郷社調布の総鎮守とされています。創建時から小名毘古那神を御祭神としていて、現在地に遷座した折に菅原道真公を合祀。
- 京王線で都心から30分程の調布駅の近くにあります。毎月25日には、天神市や奉納神楽が催され、毎月第二日曜には骨董市も開かれています。
近くの甲州街道の風景:街道に面して参道入り口がある
参道から社殿を望む:
手水舎:
絵馬掛:
参道から社殿を望む:
境内の風景:
社務所:
祓戸:
神楽殿:毎年梅まつりにはコンサートが開かれる
神楽殿に掛かる扁額:
神牛像:
稲荷神社:
御嶽神社・祓戸神社・疱瘡神社:
金刀比羅神社・大鳥神社:
厳島神社:
調布の総鎮守
布多天神社の御祭神
少名毘古那神(すくなひこなのかみ):
菅原道真公(すがわらのみちざねこう):
布多天神社のご利益
虫封じ:
病気平癒:
健康祈願:
商売繁盛:
合格祈願:
境内社 または遺跡(建造物など)
金刀比羅神社、大鳥神社、稲荷神社、御嶽神社、祓戸神社、疱瘡神社、厳島神社。
備考:延喜式神名帳所載の武蔵国多摩郡八座の一。
例祭日:9月25日
布多天神社の由緒
布多天神社は、延喜式内社の小社とされる古社です。創建の年代は不詳だが社伝によれば垂仁天皇の時代に創祀されたと云います。延喜式神名帳所載の武蔵国多摩郡八座の一。元々は古天神という場所(現 上布田公園)にあったが、文明9年(1477)多摩川の洪水を避けて現在の地に遷座。江戸時代に甲州街道に布田宿ができると、布田五宿の総鎮守とされ人々の崇敬を集めています。
当社の掲示による由緒:
- 布多天神社の創建はあまりに古く定かではありませんが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる、多摩地方有数の古社で、社伝によれば第十一代垂仁天皇の御代、約1940年前の創建といわれております。
- 文明九年(1477年)に多摩川の洪水をさけ、古天神というところより現在地へ遷座され、その時に、御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀されました。
- 江戸時代に甲州街道が作られ、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿ができ、布田五宿と呼ばれました。 当時、布多天神社は布田五宿の総鎮守であり、五宿天神と崇め祀られておりました。そして布田五宿は、明治二十二年に飛田給、上ヶ給と合併して調布町となり、当社は調布町総鎮守となりました。
新編武蔵風土記稿による由緒:
- (上布田宿)布多天神社
- 社地除、6段9畝20歩。上宿の北裏にあり。此神社は当郡の古社にて、延喜式神名帳に多摩郡布多天神社あり、相傳ふ祭神少彦名命なりと。古は村内今の古天神と云へる所にありしに、文明の頃多摩川関崩るによりて、今の地へ遷せり。其のとき初て菅神の像を配祀す。故に今の神体は菅神の木像にて、長1尺許なり。縁起ありて承応2年の撰述のよしをいへど、記す処妄誕にして、その頃のものともみえず。但其の中調布の濫觴をいへることみえたり。是又さだかなりがたき説といへども、姑く其略をつんでここにのすと云。桓武天皇延暦18年、木綿の実始めて渡りしなれど、いまだ布に製することをしらず。其時多摩川邊に菅家の所縁にて、近国に名を顕はせし広福長者といへるものあり。天神の社へ七昼夜参籠して、不思議に神の告を蒙り、布を製するの術を得て、多摩川にさらして、これをととのへて奉りぬ。是乃本朝木綿の初なりとかや。帝御感浅からず。即ち其布を調布とのたまへり。それより此邊武州調布の里といへり。後に広福長者の末孫菅原を修して、原永法となのり、この処にありしに、後菅神の肖像を造立して、布多天神に配祀せり。永法後に発心して、永法坊と改め、草庵を結て両社の守りをなし、年月を送ける所に、永延年中に院号を下されて、広福山常行院永法寺と号し、別当となしたまひしといふ。此社傳と口碑に傳ふる所と、年代合はず。されど今より考ふるによしなし、必ずあやまりあるべし。社地の外免田3段1畝9歩。免畑1段23歩あり。当社は上下布田・小島分・国領・上給・矢ヶ崎等の村々鎮守にて、例祭年々9月25日。その外名月25日月並の祭礼あり。本社2間に4間。拝殿4間に2間、石の鳥居あり。鳥居の西邊に制札をたてり。これは太閤秀吉のあたへしものにて、其文左のごとし。(中略)
- 末社:金比羅社、本社の西にあり。稲荷社、金比羅社の傍にあり。
布多天神社の基本情報
- 名称:布多天神社
- 所在地:東京都調布市調布ヶ丘1ー8ー1
- アクセス:【電車】京王線「調布駅」より徒歩5分。
- 駐車場:有り
- 主催ホームページ:コチラ より