平塚神社 東京のパワースポット-上中里の鎮守さま-イパネマおやじ
- 平塚神社(ひらつかじんじゃ)は、東京都北区上中里に鎮座する神社です。東京メトロ南北線「西ヶ原駅」で降りて向かいます。まずは場所確認のために、近所の公園で自転車に乗って遊んでいた、小学3~4年生くらいの女の子に平塚神社の場所を訪ねてみました。現代の若者は・・・という高齢者特有(私自身)の若者イメージとは異なり、とても一生懸命に道順を教えてくれました。普段から、小学生の年代の子供たちと触れ合う機会のない私が感じたのは「数十年前の私たちの子供の頃の変わらない温か味」と同じだなァ~と、とても嬉しく感じたものでした。
- 教えてもらった、和菓子屋さん「平塚亭つるをか」を目印にユックリと3分程歩くと平塚神社の石碑が目に入ってきました。境内は広いスペースがあり社殿の建物は見当たりません。敷地(ここは境内なのか?)という感じで、とうやら月極め駐車場になっているらしく、数10台の乗用車が駐車してあります。その駐車場(境内?)の半ばほどの場所に「平塚神社」の石碑が立っていたので、どうやらここは境内なのだ・・という印象でした。更に境内を奥へ進むと前方に柵で囲われた社殿が見えてきました。昔は、余程広大な敷地を有したであろう神社だったのが窺えます。
- 当社の西には区立滝野川公園、南側にはバラの名所で知られる旧古川庭園があります。
最寄りの東京メトロ南北線「西ヶ原駅」:国立印刷局の工場がある
表参道から境内へ:
境内は一部が駐車場:参道入口から社殿まで2~3分程の距離がある広大な敷地
ようやく社殿が見えてきた:
鳥居:小さな木製鳥居が社殿前の参道に立っている
手水舎:ようやく神域に入ると左手にある
境内社:立派なな瓦葺屋根の菅原神社
境内社:石室神社
境内社:御料稲荷神社(左)・大門先元稲荷神社(右)
御料稲荷神社:
大門先元稲荷神社:
神楽殿:
神輿庫:
社務所:
<h2—</h2>源氏三兄弟ゆかりの神社
平塚神社の御祭神
源義家命(八幡太郎)
源義綱命(賀茂次郎)
源義光命(新羅三郎)
平塚神社のご利益
勝ち運:
病気平癒:
開運厄除:
境内社 または遺跡(建造物など)
菅原神社、御料稲荷神社、大門先元稲荷神社、石室神社
備考:甲冑塚(拝殿の裏手に源義家の鎧が埋められている・御神体のため非公開)
例祭日:9月14・15日
平塚神社の由緒
- 平塚は、平安時代に豊島近義が当地の要害を利用して平塚城を築いた地と云います。石神井川流域を拠点とした豊島氏の本城は、石神井城だが石神井川沿いに支城の練馬城、板橋城、滝野川城そして平塚城を築いたといわれています。
- 寛治元年(1087)に後三年の役帰路の際、源義家(八幡太郎)、源義綱(賀茂次郎)、源義光(新羅三郎)の三兄弟が平塚城を訪れたことから、源氏三兄弟の徳を慕い平塚三所大明神として祀ったのが始まりと云います。
当社の掲示による由緒:
- 平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
- 徳川の時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得、将軍徳川家光の近習となり立身出世を果たしました。その後家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願しました。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復しました。家光も五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、自らもたびたび参詣に訪れました。
平塚神社の基本情報
- 名称:平塚神社
- 所在地:東京都北区上中里1ー47ー1
- アクセス:【電車】JR京浜東北線「上中里駅」より徒歩3分。JR山手線「駒込駅」より徒歩12分。東京メトロ南北線「西ヶ原駅」より徒歩3分。
- 駐車場:なし(敷地内にあるのは月極駐車場)
- 主催ホームページ:コチラ より