代田八幡神社 東京のパワースポット-代田の八幡さま-イパネマおやじ
代田八幡神社(だいたはちまんじんじゃ)は、東京都世田谷区代田に鎮座する神社です。小田急線の世田谷代田駅から徒歩で5分程の場所で、傍らを走る環状七号線を跨ぐ歩道橋を渡ると到着です。昭和36年に環七道路の拡張工事が行われる前までは、境内の広さが現在の倍以上あったそうで、鳥居も新旧2ケ所ありました。代田地区の鎮守さまとして地元の崇敬を集めてきたと云います。
代田八幡神社大鳥居:環七沿いから望める鳥居
境内への階段:
境内の風景:
鳥居:環七が整備されるまではこちらが元々の鳥居と参道
旧鳥居の参道から境内へ:
手水舎:
拝殿前の狛犬:
拝殿:屋根の一部になる神明造りは旧拝殿の建材を利用
御神木:対の銀杏の木がそびえている
神楽殿:
本殿:拝殿の裏手に鎮座。綺麗に維持管理されている
境内社:御嶽社。新編武蔵風土記稿に記載されていた春日社・神明社・夷子社・大黒社・辨天天神を合祀した社は現在は祀られていない
社務所:
旧代田村の鎮守
代田八幡神社の御祭神
応神天皇:
代田八幡神社のご利益
出世開運:
武運長久:
パワースポット
御神木:一対の銀杏の大木が注連縄で結ばれている。
境内社 または遺跡(建造物など)
御嶽社:
備考:福猫のふくちゃん・ご縁を繋ぐ縁起物。
例祭日:9月第三土・日曜
代田八幡神社の由緒
当社の掲示による由緒:
- 天正十九年(1591年)代田地区(旧下代田、本村、中原、大原)の鎮守の神様として宇佐八幡宮より御分霊を勧請してお祀りしたことを縁起としております。
- 以来、代田の発展に伴い、幾多の変遷を経ながらも自然崇拝、祖先崇拝を基調に、氏子中より氏神(産土神)として篤く信仰されています。
新編武蔵風土記稿による由緒:
- (代田村)八幡社
- 社地三段、免畑一段一畝十五歩、小名本村の内高札場より耕地を隔て北の方にあり、本社は小山の上にたてり、宮作りにて横四尺に長さ六尺八寸覆屋は二間四方、鎮座の年代詳ならず、元文年中の棟札あり、是は今の社を修造せし年代なるべし、此社の内に奇石あり、其状雷槌の如くにして青石なり、長さ四尺二寸餘径太き所にて四寸、周一尺三寸五分、細き所一寸三分、これは昔より此ほとりの百姓が宅地の内に在しを、近き頃此社へ納めしと云。
- 末社。
- 春日社、本社に向ひて右の方にあり。
- 神明社、夷子社、大黒社、以上春日祠の右にあり。
- 辨天天神合社。是は本社に向て左にあり。
せたがや社寺と史跡による由緒:
- 八幡神社(代田八幡) 代田3-57-1
- 祭神仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、「新編試蔵風土記稿」に「鎮坐、年代詳ナラズ、元文年中(1736〜1741)ノ棟札アリ、是ハ今ノ社ヲ修造セシ年代ナルベジ」と記す如く由緒については明らかでない。別当円乗院が享保年間(1716~1736)に炎上したためであろう。代田村の鎮守であったが、明治年間大原町などが分かれた。神宝として石棒を蔵する。風土記稿に云う。「此社ノ内ニ奇石アリ、ソノ状雷槌ノ如クニシテ青石ナリ。長サ四尺ニ寸余円径太キ所ニテ四寸周一尺三寸五分、コレノハ管ヨリ此ホトリノ百姓ガ宅地ノ内ニアリシヲ、近キ頃此社へ納メシト去」社殿は戦災により炎上、現在のものは戦後の再建である。天明5年(1785)銘の石の鳥居が建つ。祭礼は9月19日20日であったが、現在は9月の第3土曜日曜に行主われる。
代田八幡神社の基本情報
- 名称:代田八幡神社
- 所在地:東京都世田谷区代田3ー57ー1
- アクセス:【電車】小田急線「世田谷代田駅」より徒歩5分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ(世田谷区):コチラ より