稲荷鬼王神社 東京のパワースポット-唯一鬼王の名を持つ神社-イパネマおやじ
- 稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)は、東京都新宿区歌舞伎町にある神社です。歌舞伎町の区役所通りを真っすぐ歩いていくと、懐かしの風鈴会館があり、そしてバッティングセンターも健在でした。更に直進すると右手に稲荷鬼王神社が見えてきました。ナント!久しぶりに来てみると隣にはアパホテルが建っていました。歌舞伎町も夜の街一辺倒から徐々に変化しているようです。
- 全国で唯一の厄を除き福を授ける「鬼の王」という名を持つ神社です。境内の手水舎は少し変わったデザインで、鬼が頭の上で水鉢を支えています。他にも、水琴窟や富士塚があります。病気平癒の「撫で守り」や境内にベッタラ漬けの屋台が出る「べったら祭り」でも知られる神社です。
近隣の歌舞伎町の街並み、バーや小料理屋などが立ち並ぶゴールデン街の風景:
社殿:
手水鉢:
狛犬:
恵比寿神社(三島神社):
国内有数の繁華街に鎮座する神社
稲荷鬼王神社の御祭神
宇賀能御魂命
鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)
稲荷鬼王神社のご利益
五穀豊穣
商売繁盛
家内安全
境内社 または遺跡(建造物など)
恵比寿神社(三島神社):別名開運恵比寿とも呼ばれ、
備考:新宿山ノ手七福神の恵比寿さま。
例祭日:9月18日
稲荷鬼王神社の由緒
明治後期に大久保村の小さな神社や祠を当社に合祀した。当時の政府が推進した合祀政策の基づいて行われたようです。昭和5年に境内社として浅間神社を再興する。戦後の復興で当地周辺に歌舞伎町が誕生しています。古くは、百人町、東大久保、西大久保、三光町、角筈、柏木などと呼ばれていた一角でした。その後、昭和43年に当地に社殿を再建。
- 新宿区の文化財による由緒:
- もとは承応2年(1653)に戸塚の諏訪神社境内の福瑳稲荷を勧請したもので、天保3年(1832)に当地の百姓田中清右衛門が熊野から勧請した鬼王権現と合祀した神社である。江戸時代から豆腐をそなえれば、湿疹・腫物に特効があるとされた。
- 邪鬼の頭上に手水鉢をのせた珍しい水鉢は、文政年間(1818-30)、毎夜水を浴びる音がするので持主が刀で切りつけたところ、その後家人に災難が相次いだため、天保4年(1833)鬼王神社に奉納されたという。
また、昭和五年に造られた富士塚が残っているが、昭和43年の社殿再建の際、二分してしまった。建碑には谷(○に谷)講とあり、西向天神社の富士塚と同系の講中である。もとは稲荷鬼王神社の氏子中を中心に活動していたが、現在は全く活動していない。
- 東京都神社名鑑による由緒:
- 稲荷神社は承応二年(一六五三)将軍家綱公の時、当所の氏神として、正一位福嵯稲荷大明神を勧請した。鬼王神社は、鬼王権現と称し、宝暦二年(一七五二)に当所百姓田中清右衛門が紀州能野から勧請した。湿疹・腫物を初め諸病いっさい豆腐を献納して祈れば必ず平癒するといわれ、今日でも広く信仰されている。三島神社は別名開運恵比寿とも称え、文化年間(一八〇四-一八)に松平出雲守邸内より出現し御後室の居間に安置してあったのを、後、二尊院に奉納した。同院は新義真言宗芝愛宕円福寺寺中金剛院末で、雨宝山と号し、松平家の祈願所であった。この二尊院は代々稲荷鬼王神社社家大久保家にて別当職を兼ねており、嘉永六年(一八五三)十月同院火災にかかり、当時の別当大久保家十三世政光がその恵比寿神を大久保家に遷した。維新の神仏分離により、大久保家守護神とし、後、十四世義道が稲荷鬼王神社境内に奉斎じ、今日に至っている。またこの恵比寿神は山ノ手七福神の一つに数えられ参拝者も多い。
稲荷鬼王神社の基本情報
- 名称:稲荷鬼王神社
- 所在地:東京都新宿区歌舞伎町2ー17ー5
- アクセス:【電車】JR線、小田急線、京王線、東京メトロ丸の内線「新宿駅」より徒歩10分。都営地下鉄大江戸線、東京メトロ副都心線「東新宿駅」より徒歩2分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ(東京都神社庁):コチラ より