亀戸香取神社 東京のパワースポット-スポーツと勝矢が推しの神社-イパネマおやじ
- 亀戸香取神社(かめいどかとりじんじゃ)は、東京都江東区亀戸に鎮座する神社です。都内江東区の北東部にあり、JR線・東武線の亀戸駅が最寄り駅で、蔵前道路と京葉道路が通っています。近隣エリアの錦糸町と合わせて「錦糸町・亀戸副都心」の指定を東京都より受けています。
- 亀戸という地名は、その昔は亀に似た島だったことから「亀島」と呼ばれていたことに由来すると云います。やがて島が地続きになり「亀村」と呼ばれるようになり、村の亀戸神社に「亀ケ井」という井戸があったことから、亀井戸から亀戸に名称を改めたといわれています。
最寄りの亀戸駅周辺の繁華街:近くを流れる中川:
参道から社殿を望む:
手水舎:
亀戸大根之碑:江戸時代から亀戸は、大根の一大産地で、盛んに栽培されていた:
勝石:平成28年に鎮座1350年を記念して置かれた
境内社:左奥から、天祖神社、稲足神社、福神社、「熊野神社・三峯神社・水神社」
大国神像・恵比寿神像:像にお水掛けして洗い清める
旧亀戸村の鎮守
亀戸香取神社の御祭神
経津主神(ふつぬしのかみ)
相殿
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
大己貴神(おおなむちのかみ)
亀戸香取神社のご利益
スポーツに勝つ:
病気に勝つ:
自分に勝つ:
境内社 または遺跡(建造物など)
天祖神社、稲足神社、福神社、「熊野神社・三峯神社・水神社」
備考:亀戸七福神の大国神、恵比寿神
例祭日:8月第1または第2日曜、5月5日(勝矢祭)
亀戸香取神社の由緒
当社の掲示による由緒:
- 当神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公が東国下向の際、この「亀の島」に船を寄せ、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)が、当神社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので、神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。
- 以来、ますます民の崇敬があつく「郷土の守護神」というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、「葛飾神社香取太神宮(かつしかじんじゃかとりだいじんぐう)」と称え奉るに至りました。元禄10年の検地では、徳川家の社寺帳にも載せられ、古都古跡12社の中にも数えられています。
新編武蔵風土記稿による由緒:
- (亀戸村)香取社
- 当村の鎮守なり。祭神は経津主神なり。右に健御雷神、左に大杉大明神を合せ祀れり。由緒に云。当社は天智天皇4年乙丑大職冠鎌足東国下向の時勧請し、太刀一腰を納め朱雀院御宇俵藤太秀郷、将門追討の時参籠して弓矢を納めし事あり。其後大永3年当社を再興し、又応安4年修造云々とみえたり。此事他の所見なければ信ずべきものにはあらされど、寺社帳に応安4年鎮座の由載たれば古社なることは論なかるべし。享保の頃当社へ常州阿波郡大杉明神飛来せりとて、其頃参詣群集せりと云。
- 末社子守稲荷金比羅。
- 旅所、北十間川の北側にあり、僅の除地なり。神主香取中務。吉田家の配下なり、旧家なれど家系等も傳へず。
- 神明社
- 往古大樹の榎神木たりしが、此木枯たりしとき天下泰平の文字を虫食しより、泰平神明と尊称すと云。香取中務(香取社)持
亀戸香取神社の基本情報
- 名称:亀戸香取神社
- 社号:香取神社
- 所在地:東京都江東区亀戸3ー57ー22
- アクセス:【電車】JR総武線「亀戸駅」より徒歩10分。東武亀戸線「小村井駅」より徒歩10分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より