千住本氷川神社 東京のパワースポット-千住七福神の大黒天-イパネマおやじ

  • 千住本氷川神社(せんじゅもとひかわじんじゃ)は、東京都足立区千住に鎮座する神社です。最寄りには北千住駅があり、周辺は商業施設や飲食店などの多くが密集しています。活気と喧騒が入り混じる繁華街から、歩いて5分程の距離にあり、目立たない路地を入った場所にあります。
  • この千住一帯には、氷川神社が多数あります。当社、千住氷川神社、大川町氷川神社、仲町氷川神社そして千住神社の5社が点在しています。名前だけだと見間違うことがあり、住所で確認しないと混同しそうです。普通は、地図で確認する際には「千住・・神社」と表示されていれば大まかな見当で歩いて行くのですが・・到着してみると、鳥居や社殿の様子が写真と違っていたので、ようやく間違いに気付くという程、密集して複数の神社が鎮座しているのは珍しいですね。

荒川土手

近所の風景:荒川土手からスカイツリーが望める

荒川自然公園

近所の風景:荒川自然公園

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千住本氷川神社 鳥居

千住本氷川神社鳥居:

参道から社殿を望む

参道から社殿を望む:

狛犬

社殿前の風景

社殿前の風景:

三精稲荷神社鳥居

三精稲荷神社鳥居:

稲荷神社

境内社:三精稲荷神社

旧社殿

千住本氷川神社旧社殿:大黒天が祀られている

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 千住七福神の大黒天

千住本氷川神社の御祭神

素盞鳴尊(すさのおのみこと)

千住本氷川神社のご利益

縁結び:

厄除け:

勝負運アップ:

境内社 または遺跡(建造物など)

久須志神社、三峯神社、稲荷神社、大黒天(旧社殿)

備考:千住七福神の大黒天

例祭日:9月15日

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千住本氷川神社の由緒

千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田の地に千葉山西光院(旧別当寺)と共に氷川社を創建したと云います。江戸時代初期になると、地主が社地を寄進し氷川社の分社を創建したと云います。明治43年(1910)に荒川放水路を建設するため、分社であった当社に牛田氷川神社を合祀しています。

当社の掲示による由緒:

  • 天照大神の弟神で八頭蛇退治で知られているように智・仁・勇の御徳を具えられた神である。(徳治2年1307)に下総国千葉氏が、牛田に千葉山西光院と共に氷川社として創建されたと伝えられている。
  • 江戸初期に現在地に千葉氏の一族であった。権の兵衛(小林氏)等、地主が土地奉納によって分社を建立した。明治43年隅田川の洪水を防ぐ為、千住町北側に荒川放水路構築、この用地に鎮座の氷川柱を分社に合祀す、別当寺の西光院は放水路南、隅田川添いに移築、共に現在に至る。旧社殿は日光東照宮造営に奉仕した大工が建立したと伝えられているが、棟札等は判明していない。
  • 本殿等方一間で流れ作り側面に小鍛冶の超克拝殿は五坪千鳥破風唐破風の向拝に頭貫虹梁部分に流や鳥数の彫刻あり入母屋造り、昭和45年に鉄筋コンクリート銅板葺き社殿を新築した。
  • 旧社殿は拝殿を撤去、向拝部分を本殿上屋に接続し改築して末社とし三峯神社(火防の神)久須志神社(医薬の神)大黒天(招福正成就)が祀られている 区の文化財指定となっている。

東京都神社名鑑による由緒:

徳治二年(一三〇七)、千葉氏が千住三丁目牛田に、千葉山西光院院と氷川神社を創建、千住町が宿場町として栄えはじめた江戸初期、現在地に地主の土地奉納によって分社を建立した。明治四十三年荒川放水路構築のため、牛田氷川神社を合祀、境内は民有地であった。本殿は一坪弱ながら小鍛冶・鞍馬天狗の彫刻は見事である。

千住本氷川神社の基本情報

  • 名称:千住本氷川神社
  • 所在地:東京都足立区千住3ー22
  • アクセス:【電車】JR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武伊勢崎線、つくばエクスプレス線「北千住駅」より徒歩5分。
  • 駐車場:なし
  • 主催ホームページ:コチラ より

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