十番稲荷神社 東京のパワースポット-麻布十番のお稲荷様-イパネマおやじ
十番稲荷神社(じゅうばんいなりじんじゃ)は、東京都港区麻布十番に鎮座する神社です。地下鉄の麻布十番駅を出ると一般道に面して「かえるさん」その隣に「宝船」の石像があります。その真ん中に境内への階段があります。都心の真っ只中にあり狭い社地を利用してコンパクトにまとまった社殿があり、綺麗に管理されている神社です。
最寄りの麻布十番の風景:
鳥居と参道の階段:一般道路に面している
境内から参道入口を望む:入口は一般道に面する
拝殿:
社務所:拝殿前の境内の隣りにある
かえるの石像:一般道に面している。若がえる等の御利益があるとされ信仰される
宝船:港七福神めぐりの宝船。一般道に面している
港七福神の宝船:一般道路を歩く道すがら拝める
港七福神の宝船を担う
十番稲荷神社の御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと):
日本武尊(やまとたけるのみこと):
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):
田心姫命(たぎりひめのみこと):
湍津姫命(たぎつひめのみこと):
十番稲荷神社のご利益
衣食住・商売繁盛:
難局打開・武運長久:
学芸芸能・美:
金運アップ:
境内社 または遺跡(建造物など)
宝船の石像:港七福神の宝船にちなんだ石像。
かえるの石像:江戸時代の大火災の際、大蛙が猛火を退けたという伝承にちなみ昭和50年に置かれる。
備考:港七福神の宝船を担う。毎年元日・成人の日に催される「港七福神めぐり」に寶船御朱印をいただける。
例祭日:9月16・17日(両日に近い土・日曜)
十番稲荷神社の由緒
十番稲荷神社は、戦後の復興土地区画整理により旧坂下町鎮座の末広神社と、旧永坂町鎮座の竹長稲荷神社が当地へ遷座しています。その後、両社を合祀して十番稲荷神社へ改称したと云います。末広神社は慶長年間(1596~1615)の創建、竹長神社は弘仁13年(823)に武蔵国豊島郡竹千代丘に創建して、タケチヨの名を憚りタケチョウと呼んだと云います。
当社の掲示による由緒:
- 十番稲荷神社(じゅうばんいなりじんじゃ)は、もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。
- 末広神社由緒(すえひろじんじゃ)
- 慶長年間(1596~1615年)に創建され、元禄4年(1691年)には坂下東方雑式に鎮座していましたが、同6年永井伊賀守道敏が寺社奉行の時、坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内に多数の柳樹があり、「青柳稲荷」と称されていましたが、後にその中の一樹の枝が繁茂して、扇の形をしていたことから「末広の柳」とよばれるようになり、社名に冠されて末広稲荷と称されました。その後、明治20年4月に末広神社と改称されました。
- 竹長稲荷神社由緒(たけちょういなりじんじゃ)
- 創建は定かではありませんが、一説には和銅5年(712年)とも、弘仁13年(822年)に慈覚大師の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島群竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請(※)したとも伝えられています。延喜式内社の稗田神社と目されており、少なくとも10世紀初頭には鎮座していた古社と考えられます。その後、弘安2年(1279年)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624年)3月に永坂町に遷座されました。
十番稲荷神社の基本情報
- 名称:十番稲荷神社
- 所在地:東京都港区麻布十番1ー4ー6
- アクセス:【電車】東京メトロ南北線、都営大江戸線「麻布十番駅」より徒歩5分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より