摩利支天 徳大寺 東京のパワースポット-三大摩利支天の一つ-イパネマおやじ
摩利支天徳大寺(まりしてんとくだいじ)は、東京都台東区上野にある寺院です。上野駅の近くで、アメヤ横丁の通りの中ほどに鎮座しています。雑多ともいえる様々な商店が立ち並び、活気のある声が飛び交う街の中にあり、一般的に寺社が佇んでいる環境からイメージするのとは全く違うのが、この徳大寺の特徴といえます。
近隣のアメヤ横丁や上野の飲食店の風景:
三大摩利支天の一つ
摩利支天 徳大寺の御本尊
大曼荼羅:
摩利支天 徳大寺のご利益
開運:
勝運:
商売繁盛:
摩利支天 徳大寺の由緒
- 摩利支天徳大寺 ホームページに掲載の縁起より
- 当山は江戸時代初めの寛永年間に慈光院日遣上人により創建され、正式には日蓮宗妙宜山徳大寺と申します。又仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、下谷広小路(現:上野広小路)に位置したことから、下谷摩利支天とも呼ばれて参りました。
- 「当寺奉安の摩利支天尊は、施無畏の後身、聖徳皇太子の御手彫なり。下総正中山法華経寺、第五十五世、成遠院日達上人、京北叡昌山本法寺貫頂として、既に正中輪番に下らんとて、東方弘通の擁護を祈られしに、或夜夢らく、尊天来臨ましまし、東の方に立たせ給うと。実に其年正月二日の夜なり。覚めて後、見に一?の霊像を感得し見るに、夢に拝する如く異なることなかりき。躬暫くも離たず。弘通功成りて、帰京の日、霊夢の事を思い、此尊天、東土に縁のましますとて、即ち当寺に什襲奉安し、永く自他の利益を仰ぎ願う。」
- 以後、聖徳太子の御作と伝わる御尊像に開運吉祥の御利益を授かろうと、全国よりの絶えざる善男善女の参詣により山門は俄然活況を呈し、いつしかその門前通りは下谷広小路の摩利支天横丁と呼ばれるようになりました。
- 時代は明治へと移り、江戸が東京と改められると、上野の街は東京市下谷区に編入されました。この頃には、毎月亥の日の御縁日に摩利支天横丁を中心に多くの露店が立ち並び、大変な賑わいを見せるようになります。その後、大正十二年の関東大震災、昭和二十年の戦災による火災類焼によって、堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、奉安の御尊像は幸いにもその都度焼失を免れて参りました。
- そして終戦後の混乱期、闇市の出現などによる町並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらもこの地に留まり、昭和三十九年十一月、堂宇再建の悲願が結実され全伽藍の復興を果たし、今日の姿に至っております。本堂正面の扁額「威光殿」は、威光の化身たる大摩利支尊天の拝殿の意として、吉田茂・元総理大臣の揮毫により寄贈されたものであります。
- 寛永の時代より凡そ四百年、寺社町として栄えた上野広小路の地に残る最後の寺院として今日も大摩利支尊天をお祀りし、有縁の清衆の現世安穏、後生善処の浄願を祈念致しております。
- 「下谷區史」による縁起
- 中山法華經寺末、妙寶山と號す。開山は僧日遣。(應永二年後五厚二十七日寂)境内に摩利支天堂あり、聖徳太子作と稱する摩利支天像を安置し、民間の信仰が盛んで賽者が絶えない。大正震災にもこの像は焼失を免れた。この像は忍川に三枚橋を架する時、橋下の流より出現したと傳へられ、この三枚橋を渡る人は、みな妙法蓮華経を唱へる故、實は法華三昧橋であるといふやうな説も行はれた。又この寺の在る通りを俗に摩利支天横町と呼んでゐる。
摩利支天 徳大寺の基本情報
- 名称:摩利支天 徳大寺(下谷摩利支天とも呼ばれる)
- 山号:妙宜山 / 徳大寺 / 日蓮宗
- 所在地:東京都台東区上野4ー6ー2
- アクセス:【電車・バス】JR山手線・京浜東北線「御徒町駅」より徒歩2分。東京メトロ日比谷線「仲御徒町駅」より徒歩5分。東京メトロ銀座線「上野広小路駅」より徒歩2分。都営大江戸線「上野御徒町駅」より徒歩2分。京成本線「京成上野駅」より徒歩7分。
- 駐車場:なし
- 主催ホームページ:コチラ より